私が登山のようなものを始めたのは、高校生の頃である。もっとも小学生五,六年の頃には高尾山や陣馬山といった、近場のハイキングにはよく出かけていた。私の住む町を通る京王線の終点が高尾山口であり、そこから先に山があったので、探検心に駆られて出かけていった。
そして私が登山を始めるきっかけとなったのが、富士山の素晴らしさであった。子供の頃、たまたま図書館で読んだハイキングガイドに「船津口から富士山」という項があり、富士スバルラインのおかげで五時間程度の登りで日本一の山、富士山の頂上に立てると分かった。到底手の届かぬところだと思っていた富士山頂が、実はそうでないことが分かり、いつか必ず登ってみようと決意した。
三回目の挑戦で富士山頂に立てた。高山植物、雲海、絶景。そこには私を山へ誘うものがたくさんあった。それから、近場の山を中心に登りはじめて行った。
登山と観光旅行とが決定的に違うのが、「ひたすら歩く」というところである。昔の人にとって、旅とは歩くものであった。しかし今日は交通網の発達のおかげで、どこへでも手軽に行けるようになった。それは確かによいこと、ありがたいことであり、私たちに便利さをもたらしてくれた。しかし、「はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」の境地を味わうことは難しくなった。小田原から箱根までバスで登ればあっという間だが、「はるばる〜」の境地には達しない。しかし、えんえん四時間かけて歩きとおせば、「はるばる〜」の感慨に耽ることができる。歩くところ、登山のそういったところが私は大好きだ。
そして、大抵の登山道は今なお、歩行者のみの聖域の姿を保っている。鳳凰山の雲海の上の稜線、八ヶ岳の鉄階段、両神山の清流、尾瀬の木道・・・これらはすべて車の進入を今のところ拒んでいる。そんなところを歩き、絶景に見とれる…私の愛してやまない旅である。
遠く、遠く、遥か、遠く、旅の果てに何があるか・・・・・・