2003年5月5日(月・祝) 所要時間7時間12分 費用発生34,000円 (53区込み)
110小田原・・・555大垣603・・・627揖斐710=750東津汲800−845小津−845下辻越−1030横蔵寺1052−1314妙法が岳−1333奥の院−1346華厳寺分岐−1414淀坂峠−1512神海郵便局−1517神海駅1537・・・大垣
東海自然歩道の復路も今年に入ってはや7回目であり、我ながらなんて荒いカネの使い方だとは思っている。私をせかすものがあるとすれば、明日の読めない不確実性に満ちた日々と、自分及び他人に対しての猜疑心だと思う。来年の7月には私は30になってしまうが、ここ数年の私の行い、すべての選択が将来への分水嶺ではないかしらんとも思う。大競争時代である昨今、個人間においても競争は加速するのであって、ポジションの奪い合いが今後は進行して行くものと思われる。そしてその行く先は、少数精鋭で戦力と呼べる一部の「セレブ社員」と、極端な話バイトでも代替のきく「その他労働力」に階層分化へ収斂して行くものと思われる。そうした中、私は前者のグループにどれだけ長くいられるのであろうか、また脱落しないために求められる強さとは何か。良く分からないのであるが、綿密な個人ストラテジーと、日々の修練と、外ヅラの調整で自分のバリュウの維持に努めるとともに、最低限自分で恥ずかしいと思う行動をなるべくしない事、というのがカイシャイン5年時点での見解、ですかな。
世の中が不況不況と騒がれているが、為政者のオッサンは「繁華街の混雑を見なさい(あれでどこが不況なのですか)」とぞのたまう。ある種開き直りのようなコメントだが、昭和初期のように飢えに苦しむ者が出ないだけでもなんぼかましであるし、日々のニュースを飾るのが覆面レスラー議員やアザラシや白装束の集団では泰平眠りについたぬるま湯社会と云っても差し支えがないようでもある。一人が苦しんであとの十九人はそこそこの暮らしをしているのであれば、あとの十九人に関する限り今の体制が続いてほしいと願うのである。小心な人間ほど猜疑心が強いのであるが、転落の恐怖などよほどひねくれた者しかかんじないのであろうか。
そんなことを考えながら私はいつもの小田急線で西へ向かい、小田原で夜行快速に乗換えた。きょうは連休の最終日の前夜なので、ムーンライトながらは満席、後続の臨時夜行(近郊型8両)もボックス席には座れなかった。やむを得ずロングシートに座り夜食の弁当を食べて宮脇俊三の本を読んで眠くなってきた頃合いを見計らってシートに寝そべった。気がついたら岐阜であった。名古屋停車に気付かなかったのだから、かなり眠れたのであろう。西岐阜・穂積と過ぎて、揖斐川を渡って大垣に到着。
大垣駅の窓口で料金の精算をすませてから、近鉄乗り場へ向かう。ほどなく養老行きがやってきた。車中でまどろんでいるうちに養老到着。今回はバス待ちまでに時間があるので、弁当の朝食を済ませ、そのあと駅前のトイレに入ったが、ここのトイレはボットン式であった。服についた臭いを振り払いながらバスに乗りこむ。粕川を渡って名鉄線あとの本揖斐。ここで乗客は私一人になった。また私は眠りに落ちた。気がついたら東津汲であった。ザックを背負い、8時に行動開始。
導水管の下をくぐり、小津渓谷沿いに北上して行く。渓谷美を見ながら淡々と北へ進み、ほどなく小津の集落に入った。前回の記憶をたぐり、工務店横の橋を渡って右折し、下辻谷方面へ入って行く。谷沿いにすこしばかりの耕地が開けている。ほどなく谷沿いから山道に入って行く。前回はこの区間、雪や倒木に悩まされた所なのだが、今回は若干の倒木が見うけられ、沢沿いでちょっと荒れた箇所もあったが、歩き出しと言う事もあってそんなに苦もなく斜面を登っていった。若干のルートファインディングは必要としたが。
案外あっさりと下辻峠のてっぺんに立ち、下りにかかる。巻き気味に山道を下り、砂防ダムの脇を階段で降りると幼魚池に出る。横蔵寺まではあと少しである。バス道路に出て、数軒の飲食店を見たあと横蔵寺に入った。ここで見学をかねて休憩。
横蔵寺のミイラは一見の価値がある。往路のときも見たが、また顔が見たくて200円の拝観料を払ってミイラと対面する。2年前と同じようにガラスケースの中にミイラ(断食入定した妙心上人)が鎮座していた。干からびたその姿を見て、生きる事の儚さを感じ、口を大きくあけたその表情を見て、生きる事・死ぬ事の苦しさやいかばかりかと感じてしまう。今回は隣の宝物殿も見た。平安鎌倉室町期の仏像が10体ほど展示されており、特に二体の仁王像はその身体の彫り方に力強さを感じた。
パンの昼食をすませ、歩みを再開する。まずはいこいの森のジグザグ道を登って行く。二つ三つカーブを切ったあと、道がえげつないほど崩れていて通れなかった。むりやりその斜面を直登すると作業道と復旧用のショベルカーが見えた。さらに上にはちぎれた先の登山道があったが、そこまでどうやって行ったものかと思案していると、右手にビニールテープで区切られた仮設歩道が見えた。急な斜面につけられた道を進む。登りきった所で、紀伊長島から来た中年夫婦のハイカーに出会う。東海自然歩道を歩いている事を話すと「学生さん?」と聞かれた。小生が若く見えるのか、それとも東海自然歩道を歩くという酔狂な行いをするからそうイメージされたのであろうか。頑張ってと大きなミカンを頂いた。
ジグザグの道を苦心しながら登りきって、若干のぼりがましなものになってゆくと、「しゃくなげの採取を禁ず」という標識が現れ始め、両側は有刺鉄線で塞がれるという興ざめのする道となった。ほどなく林道に出てそのあと丸太階段で登山道に入る。節操のない激しいアップダウンが一時間以上も続く。登って下って、また登って・・・当方もいいかげんうんざりしてきて、10回目まではアップダウンの回数を数えていたがそれ以降は気力が失せてきて、数えるのを止めた。
どうにか標高666mの妙法が岳頂上を通過。樹林帯の中のピークなので、木にぶら下がったいくつかの標識でそれと分かる。稜線上を進むと右に折れて、華厳寺方面への急降下にかかる。丸太階段の連発を過ぎると奥の院に出て、そこからも急峻な斜面の下りを強いられる。ドスドスと下って、華厳寺への分岐を過ぎた。きょうは五月連休ながら気温が28度まで上昇する大変な天気であるので暑くてたまらない。淀坂峠への登りを前にちょっと休憩。首筋に濡れタオルを巻いて暑さを紛らわす。
淀坂峠を越えるのは三度目だが、西から登りにとって見ると長かった。ようやく峠を越えて山道を一息下ると林道になり、アスファルト道になり、根尾川沿いに出た。自然歩道はいったん山に入り、根尾川を高巻いてから岐礼の集落に出て、工務店の横から根尾川ぞいに戻る。ほどなく現れた神海橋で対岸に渡り、神海の集落に入って、公民館の交叉点を左折し、神海郵便局を打ち切りポイントとした。汗まみれになって樽見鉄道の神海駅にたどりついた。たまらず自販機のツイストペプシを飲む。
15時37分発の大垣行きレールバスに乗る。この路線はもと国鉄樽見線を地元が引き取ったいわゆる第三セクターの鉄道である。開業から15年以上が経過してレールバスも若干古びているようであった。レールバスは全力を出しているのだろうがゆっくりとした速度で濃尾平野に出て南下する。疲れで何回もうとうとし、そのたびに握っていた整理券を取り落とす。一時間近く乗って、揖斐川を渡り大垣に到着した。運賃箱に現金を入れた後、駅員から大垣駅の自動改札を通れる切符をもらう。
東海自然歩道で大垣に立寄るのはこれが最後であろう。そう考えて、きょうは大垣駅前のビジネスホテルを押さえてある。部屋に荷物を置いた後、駅前の食堂でおでん定食。ここの赤だしはうまいのである。おでんも煮豆腐など関東とは若干違っておりうまい。そのあと部屋に戻り、風呂に入ったあと、発泡酒を飲みながらナイターを見て、眠りについた。明日は長丁場である。