2002年12月24日(火) 8時間37分 費用発生 12,000円(42区込み)
2252大塚・・・2255多摩センタ2315・・・040小田原106・・・浜松・・・519名古屋555・・・705亀山710・・・826笠置駅ー笠置837−柳生家老屋敷937−夜支布山口神社1040−1112忍辱山−1208峠の茶屋−1222首斬り地蔵1233−1255白豪寺裏−1337白山神社−1420弘仁寺−1513石上神宮−1620崇神天皇陵−1714大神神社−1720三輪1737・・・奈良(泊)
青春18きっぷはJR全線に5日(連続しなくとも可)乗り放題で11,500円というスーパーディスカウントチケットである。ただし、特急や新幹線は乗れないという条件がつく。それでも1日当たり2,300円なので破格値である。片道1,150円程度の日帰り旅行に用いても充分元が取れる。ただ、大トレッキングである東海自然歩道踏破にこの企画乗車券を使うものはあまりいないであろう。概して、登山の遭難だの事故だのと言ったアクシデントの遠因は山へ行くまでの疲労なのであって、夜行利用による登山はあまりお勧めできない。ましてやこの時期の大垣行きの夜行列車なぞ、座れるかどうかは疑わしい。まあそれでも旅に出たいという欲求がある以上、この激安プライスを活用しない手はなく、12月23日、自宅で一日早いひとりクリスマスパーティを行い、チョコレートケーキ2個とフライドチキン2つを甘いシャンメリーで流しこみ、そのあといつものように多摩センター発23時15分の電車で旅立った。
かわるがわる押し寄せてくるシュールなニュース。日々パソコンの前でエクセルやらアクセスやらと格闘し、家に帰って飯を食って寝るだけの毎日。生きて行く事は変わりつづけていくことでもあり、現在の経済的地位は将来の長きに亘って保証されるものでもない。為政者のオッサンも事ある毎にセーフティーネットなどと言っているが、本音は適者生存であろうと思う。はたして今の自分は世の中と言う針の筵の上に何枚の座布団を敷いて座っているのだろうか。またいつかは大きな蹉跌、桎梏の日を迎え、笑点ではないが座布団を全部持っていかれる日が来るのではないか。では今すべき事は将来に備えて座布団を一枚でも多く重ねておくことか、または現時点での座りごこちをせいぜい楽しむといった所か、そんなことを考えながら小田急線の車内でウトウトとまどろんだ。
「お客さん、終点です、お疲れ様でした」あろうことか小田原で駅員に揺り起こされた。どうやら仕事疲れがたまっているようだ。いつもなら駅前の吉野家で夜食なぞ食べる所だが、今回はわずかな着席の可能性を捨てきれず、おとなしく底冷えのする小田原駅の下りホームに並んだ。通過線を何本も貨物列車が轟然と通過する。ほどなく1時6分発の快速「ムーンライトながら」がホームに滑り込んで来た。7号車の一隅に空席を見つけ座ることが出来た。疲れからかあっさり眠ってしまい、目が覚めたら浜松であった。ここで後追いの臨時夜行快速に乗りかえる。臨時はやはり波動用編成の167系をつなぎ合わせた代物で、一昔前の急行型車両であった。空席を見つけ、しばしまどろむ。
目が覚めたら名古屋の手前であった。よく寝過ごさずに、乗りかえるべき駅できちんと目が覚めてくれるなと思う。ここで関西本線に乗りかえる。5時55分の始発まで、名古屋駅の待合室でじっと待ち、ほどなく亀山行きの電車が入線してきた。三たび車中でうとうととまどろむ。目が覚めたら終点の亀山であった。ここで加茂行きのディーゼルカーに乗りかえる。またも車中で眠り、気がついたら柘植であった。新堂、佐那具と過ぎ、8時ちょうどに伊賀上野に停車。駅ごとに高校生の集団が乗り降りする。そのあと島ヶ原を過ぎ、月ヶ瀬口からは木津川沿いをディーゼルカーは走る。ほどなく笠置に到着。
駅前商店街を進み、すぐに前回打ちきった笠置郵便局のポストを見つけ、8時37分。赤いポストをポンと叩いて東海自然歩道の旅を再開した。すぐに笠置山への登り道となる。コンクリ道をジグザグに高度を上げるちょっとしんどい道であった。この笠置山は鎌倉時代末期、後醍醐天皇派の楠正成が挙兵し、山上から岩を投げて鎌倉方と戦った古戦場でもあるが、それほど峻険な山だとは感じなかった。休憩所から林道に入り、笠置寺の山門前から尾根上の林道をたどり、柳生をめざす。林を抜けると突然ゴルフ場の横に出て、そこを過ぎると打滝川沿いの道となり、阿対の石仏を過ぎるといよいよ奈良県に突入する。これで東海自然歩道で足を踏み入れた事のない県がなくなった。
柳生は剣豪の里としてあまりにも有名で、影武者徳川家康あたりの小説では、徳川家に仕える剣豪の養成地として描かれており、いかなる所かと思っていたが、実際はあまり変哲のない山間の小集落であった。柳生家老屋敷を瞥見して、ほどなく石畳道の登りとなる。疱瘡地蔵を横目に見て、なお登りは続き、峠を越えると急峻な下り。石畳なので滑らないよう、慎重なキャラメル下りで足を運んだ。ほどなく集落に出て、柳生宗則とその妻おふじが出会ったという「おふじの井戸」を通過し、塔阪の集落を過ぎて、夜支布山口神社の石段を登って、耕地の脇を道なりに進み、大柳生への分岐を分けて、なお地蔵が点在する小道歩きを続け、道がゆるい登りとなってゆき、流れをかたわらにするようになると、国道に飛び出しほどなく忍辱山のバス停。まだ行動開始から2時間半しか経っていない。
円成寺を瞥見し、山道に再び入り、ゆるく登って行く。快調に歩みを進めて行くと、また県道に合流し、しばらくは林の中の薄暗い道を進んだが、ほどなく開けた集落内を進むようになった。集落のいちばん奥にある建物が峠の茶夜であった。休日であればそれなりの賑わいを見せるのであろうが、今は冬の平日と言う事もあり、営業しているかどうか分からない状態であった。ほどなく峠を越えて、奥山ドライブウェイを分けてからは石畳の下りとなる。荒木又右衛門が試し切りをしたという首斬り地蔵で昼食。そのあと一気に石畳混じりの下りを駆け下りた。朝日観音、夕日観音、寝仏とダダダダと下り、あっけなく奈良市の住宅街に降りついた。
時刻はまた午後1時前。山之辺の道をとりあえず進むことにして左折し、標識に従いながら山と町の間につけられた自然歩道を歩き、丘の上に立つ奈良春日病院を見ながら南下し、用水池のふちを通ったりとあわただしく景観の変わる道であった。鹿野園を過ぎると、なぜか自然歩道は団地の中を抜け、当方も間違えて敷地内に入ったりフェンスを乗り越えながら進んだりして、また山道に入り腐葉土製作所の中を越えたりと、良く言えば変化に富んだ、悪く言えば良くわからない道を進んだ。ほどなく白山神社、嶋田神社、崇道天皇陵と古都らしい道になってきたかと思うと県道に出て、円照寺の入口を分けると、自然歩道はいったん東に折れて柳茶屋へ向かう。
変哲のない車道を淡々と歩き、柳茶屋バス停で右折。ゆるい登りを自販機のアクエリアスを飲みながら進むと、ほどなく弘仁寺の境内を横切り、石段を下ってなおも進んで行くと、天理教の敷地に入った。とぼとぼと南下して行くと目の前に名阪国道が見え、適当に下をくぐると道標が見えた。配水池から小道を進んで行き、ほどなく県道に出た。ほどなく天理教の建物が並んだ地区に入って行き、ルートがわからなくなったが、石上神宮で修正した。この時点で午後3時過ぎ、三輪まで頑張ろうかと思う。
石上神宮からは山之辺の道らしくなってきて、ときおり神社が現れるのどかな山裾の道となり、歩いていて気分が良かった。国道25号の下をくぐり、耕地と小集落を交互に抜けて行く。夜都岐神社の前を過ぎ、夕暮れ前の山之辺の道を淡々と進む。このあたり、観光地でもあるせいか所々に野菜・果物の無人販売所が点在している。ミカンが7個入りで100円だったので1袋買い、食べながら進む。酸味が疲れた体に心地よい。
長岳寺 蜜柑の皮を むきながら
衾田陵、柿本人麻呂歌碑などを見ながら南下し、長岳寺の入口を通ってからは崇神天皇、景行天皇陵と大きめの古墳の脇を通る。額田王の歌碑を過ぎてもなお山之辺の道は続く、盆地を挟んだ向かい側の二上山の稜線に夕日が沈み、山之辺の西空を紅く染める。いい眺めではあるが、残光が消える前に三輪に辿りつかなければならない。車谷の集落を東へ進んだ後、丘を登って行くと桧原神社、玄賓庵と過ぎる。なお山の入口の曲った道を淡々と進むと日が暮れて、狭井神社に着いた。ここからは大神神社の境内で、石灯籠に灯りがついている。
午後5時14分、参道に出て、大神神社ニの鳥居にタッチして本日は終了とした。きょうは奈良のビジネスホテルを予約してある。思ったより行程がはかどったので、桜井線の電車で奈良へ戻らねばならない。その前に名物の三輪そうめんを食すことにし、三輪駅前の店に入り、冬なので温かい「にゅうめん」を頼む。味は格別と言うほどでもなく、ツルツルとにゅうめんを口に運んだ。私見を述べれば、そうめんは濃い口のつゆと合うのであって、淡白な関西風の汁で食べると全体的に茫洋とした味になってしまうのでは、と感じた。
桜井線の電車で奈良に戻り、駅前の安ホテルに投宿。さすがに疲れた。バスタブに熱い湯を満たし、それに漬かって一息つく。風呂から上がり荷物整理をしながらテレビを見ていると猛烈に眠くなってきたので、早々と寝てしまう。そういえば今日はクリスマスイブだった。
2002年12月25日 6時間24分
629奈良・・・三輪−700大神神社−740大和朝倉入口−825長谷寺−848初瀬ダム−930高束城址−1012鳥見山公園1025−1137山部赤人の墓−1155戒長寺1200−1316室生ダム−1324室生口大野−1337室生口大野駅1357・・・名張1424・・・津1523・・・名古屋1620・・・浜松・・・静岡1900・・・熱海・・・茅ヶ崎2149・・・橋本2249・・・多摩センタ2305
朝5時半、ホテルの目覚し時計で起きる。体のはしばしが痛むが、なんとか室生口まで行きたい。ホテルを出て、コンビニで食料を調達し、奈良駅に向かう。青春18きっぷの3日目に日付印を入れてもらい、6時29分の桜井線の電車に乗る。三輪までは25分くらいである。まだ夜は明けない。ようやく東の空が白みはじめるころ、三輪について、7時ちょうどに大神神社の鳥居にタッチして歩みを再開した。参道を通り、拝殿前で右に折れて境内を出てしばらく進むと平等寺。境内に入らずそのまま竹やぶを進むとあっさりと金谷の石仏。そのあと初瀬川に出て、淡々と土手を歩いて、橋を渡った所でルートを見失った。しかたがないので車道を歩き、大和朝倉駅近くでコースに復帰した。ここからはモロに国道165号歩きである。
車に気をつけながら淡々とつまらない道を歩く。悪いことに雨まで落ちてきた。脇本・黒崎・出雲と進んで行くとようやく長谷寺の門前に入っていった。多くの食堂やら土産物屋があったが、まだ朝早いせいもありほとんど開店前であった。長谷寺本坊前で道は右に入り、初瀬ダムへ向かう。ここで雨がやんだので折り畳み傘をしまう。変哲のない登りの林道を進んでいくと目の前に初瀬ダムの堤体が見えた。もっともそこに上がるのにかなりの時間を要したが。
ダムの上を渡り、まほろば湖の南岸を半周すると口の倉集落への道へ入り、林道がだんだん急峻になっていき、軒下を通る感じで林道と分かれ、石段を登ってまた林道の登り、そしてその林道がコンクリの作業道、そしていつのまにか石畳に変わると道はかなり急峻な登りとなった。ゼエゼエいいながら尾根上まで一気に登ると、松永久秀によって焼かれたという高束城址に出た。そこからは平坦な山道をほいほい進んで行くとまた林道に出て、萱森の集落を過ぎてなお林道を進んで行くと鳥見山公園の分岐に出た。そしてひと登りして、鳥見山公園の敷地に入った。ここで弁当の昼食。
公園を上まで上がっていき、2000年植樹の中を通ると展望台。ここからいったん下りとなり、林道をはさんで農道の下りが長く続き、青龍寺をすぎて玉立の集落に入り、ほどなく国道369号に出た。国道をわずかに北進したのち、また林道に入り天満川を渡った後、今度は額井岳の山麓を巻きながら登って行く道となった。十八神社を過ぎても淡々と登って行き、額井岳からの道を合わせると山部赤人の墓に出た。そこからさらに山腹を巻き気味に登って行くと、戒長寺の下に出た。ここで一休み、アラブ首長国連邦の水「マサフィー」を飲む。
時刻は正午、気分転換剤のMDウォークマンを耳にはめ、林道を一気に下る。斜度があるので足をタッタッとハイピッチで出すように心がけ、軽いステップで下ると額井岳がどんどん遠くなり、下り始めて20分であっさり葛神社に出、国道を横断し近鉄線の下をくぐり、室生湖のほとりに出た。赤人橋で対岸に渡る。室生湖ぞいの道は1箇所通行止の個所があったが、歩行者なので強引に突破した。さいわい工事の人はいなかった。湖岸を淡々と歩き、下山橋から道は思いきり湾曲する。対岸の室生ダムが見えているが、大きく回りこまないと行けないため、かなりの時間を要した。竜鎮渓谷入り口で橋を渡り、対岸を進んでようやく室生ダムに出た。
ここでまた雨が降ってきたので傘をさす。ダムから車道を一下りすると、室生寺への分岐に出たのでここを打ち切りポイントとし、道標にタッチしてコースを離脱し、近鉄の室生口大野の駅に向かった。国道の下をくぐり、大野寺の前を通ると、駅はすぐそこである。室生口大野からの近鉄線は青春18きっぷでは乗れないので別途運賃を支払わねばならないが、近鉄は速いのでその分早く帰れる。名張から津まで特急に乗り、津で肉うどん(松阪に近いせいかこれはうまかった)を食べてからJRに乗換え、ディーゼル快速「みえ」で名古屋へ向かった。名古屋着16時15分。まだまだ先は長い。このあとは浜松・静岡・熱海・茅ヶ崎と乗換え、橋本には23時前には着けるはずである。浜松行きの快速に乗り、大府で席が空いて座るやいなや私は眠りに落ちた。