東海自然歩道の旅 フィナーレ

第35区 忍頂寺→箕面駅

2001年11月2日(金) 所要タイム:4時間50分 費用発生 28,000円

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2230京王八王子=530茨木633=715忍頂寺−805泉原−905林道終点−930北摂霊園−1000開成皇子の墓−1035政の茶屋(西の起点)1100−1205箕面駅

世の中は末法の世。吹き荒れる巨大な嵐に巻かれ続け、心にある闇を消す方法がわからず、いくつもの夢が砕け散った。いくつもの胸に描いていた思いが消されてきた。明日になれば何かが変わると念じても、変わらない周囲があった。そんななか、大阪ゴールと言う夢だけは、どうにかあとわずかで実現しようとしている。

三十余回に分割した東海自然歩道の旅も今回が最終回となった。大阪は茨木市にある忍頂寺から13キロばかり歩いて東海自然歩道西の起点である箕面へ至り、そのあと箕面谷と街中を歩いて大阪まで行って、それでおしまいである。旅立つ前はさあ、この旅もこれで最後だ、仕上げに行くぞという爽快な気持ちで家を出た。

いつものように八王子駅のコインロッカーに荷物を預け、夜六時半に仕事がはねてからバスの時間まですこし間があったので、京王線にちょっと乗って、高尾山口の駅まで行き、そこから少し歩いて東海自然歩道の東の起点の石碑まで行った。高尾山ろくの土産物屋は日没とともに店を閉めるのであたりはひっそりと静まっている。ケーブルカーやリフトも運転を終了している。今宵は満月であり、月明かりのなか東海自然歩道の起点の道標にタッチする。

行ってきます。

そして私は踵を返して高尾山口の駅に戻り北野行きの電車に乗りこんだ。この時間になると高尾までは電車はガラガラである。京王八王子の駅に戻ったのが午後九時すこし前で、壮行会と前祝いを兼ねて八王子駅ビル内の行き付けの和風レストランでほうとうを食べる。あしたは大阪でうまいものを食べる予定である。そのあといつものように預けた荷物を出して、スーパーでパンやおにぎりなどを買いこみ、京王八王子駅前の高速バスターミナルに向かった。

京王八王子発22時30分の夜行バス「トレンディ号」は茨木・大阪を経由してユニバーサルスタジオジャパンまで行く。大阪行きということもあってこのバスは2台立てであった。トランクに荷物を預けハイデッカーのバス車内に入る。3列独立型のリクライニングシートだが、座席の間隔は京都行きの「きょうと号」より狭く感じた。バスは八王子駅から国道20号に入り、浅川を渡って大和田の交差点を左折したのち国道16号バイパスに入り、ほどなく八王子インターから中央道に入った。バス乗務員が車内のカーテンを閉めて消灯し、車内に光が入らないようにする。車体のゆれもあって途中幾度か目を覚ましたもののまずまず眠れて、朝五時半にバスはJR茨木駅に到着した。ここで忍頂寺行きのバスを一時間待つ。運のいいことに茨木駅前には24時間営業の定食屋があったので入り、カキフライ定食をゆっくりと味わいながら食べているうちに夜がしらしら明けてきた。

忍頂寺行きの阪急バスは席の半分くらいが埋まっていた。茨木市街を抜けて北の丘陵地帯へ入って行く。バス停ごとに乗客が少なくなり、バスも山間を走るようになると忍頂寺は近い。きょうは空は晴れており、最後の日にふさわしいと思う。ほどなく終点の忍頂寺。

前回打ちきったところの道標にタッチしたあと、さっそく歩きを再開する。今日はゴールまでさしたる登りはないので気が楽である。ゆっくりバス道路を進み、右折して山沿いの林道を徐々に登って行く。山肌をからみつくように登る。所々に廃家電が投棄されている薄暗い雑木林の中を進み、しばらく歩くと道は下りとなり、道路の手前で鋭く南へ向きを変える。そのあと田圃の端をのんびり進み、道路を渡り田畑の中の小道を道標に従いすすんで行くと、道はアスファルトで舗装されてはいるが農作業車しか通れないような幅の狭い道となり、そこからまた薄暗い林の中を進むと泉原の集落に入って行く。ほどなく泉原の神社公園に到着。シェルパ斉藤さんが東海自然歩道全踏破のさい、雷に怯えながら最後の夜を過ごした場所である。私もいよいよここまで来たかと感慨がこみ上げてくる。あと残りは10km足らず、いよいよ最後の1パーセントである。

泉原の小さな集落を東から西へ突っ切ったあと、ふたたびアスファルト舗装の小道を登って行く。林を抜けてしばらく進んで行くと林道に出て、山脈自然歩道との分岐を示す道標に出る。ここで左折し、林道をしばらく進んで車道に出て、右折したあと北摂霊園への車道を分けて、左の林道に進路をとる。いくぶん登り気味の林道歩きは単調なので、例によってリュックからMDウォークマンを取り出して、音楽を聞きながら進む。30分くらい歩くと、道路の右手に涌き水がある。うまい水として知られており、汲みに来る人も多いらしいが、水質調査を行って1項目が規定範囲外である旨の看板が立っている。そのあとすぐに林道は終わり、北摂霊園への最後の山道の登りとなる。

涸れ沢状の地形を尾根へ向かってつめるごく普通の登りだが、当方は一歩一歩かみしめるように登って行く。いくつものつらい登り、厳しい登りがあった。しかし東海自然歩道を歩き終えても、ゴールに凭れるのはその日だけ、人生という、社会生活と言うバトルはこれからも続くのである。シンミリしながら谷間の登りを詰めると、北摂霊園に出た。あとはこの山を下りるのみである。

くだり気味の山道を淡々と下る。北摂霊園と別れ、尾根状のような道を粛々と歩く。紅葉にはまだ早いが、何本かの木々が色付き始めている。勝尾寺へのくだり道を左に分けると、ほどなく開成皇子の墓に到着。そこから木の桟道を下り、わずかの登り返しをはさみつつゴールへと向かう。山道を下っていると、インターネット上で知り合った藤原さんがゴールの方からやってきた。今日小生がゴールということでわざわざ迎えに来て頂いたのである。

藤原さんと合流して、西の起点である箕面政の茶屋園地を目指す。急な下りを慎重にこなし、「起点まで1.1km」の道標のたもとで小休止して息を整え、藤原さんと今までのコースの思い出話をしながら、なおも山道を下って行く。そのあと道路を渡道橋で過ぎて、ひとしきり下ると石段が見えた。

「この石段を下ったところがゴールです」と藤原さんが言う。私は靴紐を結び直し、静々と石段を下った。下った横には高尾山よりやや小さい「東海自然歩道」の石碑があった。

やっと終わった。

写真をとり、藤原さんと缶ビールで乾杯してゴールインを祝った。ついに来たぞだとかやったぞといった感激はなく、ただもう歩かなくてすむという安堵の思いが三分、これで東海自然歩道の旅はおしまいだ、という虚無感のような気持ちが七分であった。金曜日、箕面公園の奥まで来る人は少なく、西の起点はひっそりとしていた。

藤原さんと今夕大阪でおちあう約束をして別れ、ひとりで阪急電車の箕面駅へ向かう。しばらく箕面川沿いの車道をテクテク歩き、箕面公園の駐車場から短いトンネルを抜けて、箕面公園の遊歩道に入って行く。箕面の森の川沿いを淡々と下る。進むと脇に土産物屋や休憩所が見えるようになり、昆虫館をすぎてからは山を抜け街に入る。土産物屋の店頭で「もみじの天ぷら」を揚げていたので買って食べてみる。もみじの葉っぱを厚いゴマ入りの衣でくるんで油で揚げているのでかりん糖のように甘く油っぽく、衣の味しかしない。

土産物店の間を抜けると阪急の箕面駅である。箕面駅の大きな提灯をあしらったゲートにも「東海自然歩道 西の起点」と記してあった。このあと阿呆らしいと思うが大阪駅まで歩く。

 

最終区 箕面駅→大阪駅

2001年11月2日(金) 35区から継続 所要タイム:3時間30分

1240箕面駅−1420服部緑地−1440江坂−1520新大阪−1610大阪

時の流れは新しい、未来に巡り会う証。たくさんの思い出をちりばめた東海自然歩道の旅も終わり、心の中でゴールと定めた大阪駅への最後の歩みにかかる。もともと東海自然歩道を歩き始めたきっかけは相模湖弁天橋で見た「大阪までこの道は続いている」という道標であった。箕面は大阪府でも箕面であって、大阪までなんとしても歩こうと考えたのであった。もっとも事前にロードマップ等で下調べはしたが、適当に南に向かっておればそのうち大阪に着くだろうと安易に考え、箕面の駅前商店街を南下した。

もっともこういうアスファルト歩きは得意な方であるから、MDウォークマンの音楽を聞きながらガンガン飛ばして南へ、南へ歩いて行く。牧落、緑ヶ丘と大阪北部のニュータウンのような所を進み、中国自動車道の上をまたいで豊中市街を南下し、適当に大阪方面へ進んで行くと、服部緑地に出た。この公園の東が新御堂筋である。だだっ広い公園を突っ切って、北大阪急行の緑地公園駅から新御堂筋に出て、そこからは車の音が激しい中を南下する。

名神高速の下をくぐり、なおも南へ歩くと江坂。自然歩道を歩いて来た身にとっては信号待ちがわずらわしい。そして神崎川を渡り、いよいよ大阪市に突入する。東三国の駅を過ぎるともう何本ものビルが立ち並ぶ大都会である。そしてほどなく目の前に大きなガラス張り調の駅舎が見えるとそれが新大阪駅である。新幹線の下をくぐった後、なおも南に進むと阪急の踏切を越える。そのあと螺旋階段で橋上に上がり、淀川を渡る。夕暮れすこし前、淀川は静かに水をたたえている。

けっこう長い新淀川大橋を渡り、豊崎の工場のそばを通り、梅田貨物線の下をくぐって地下鉄中津駅を過ぎる。そしてようやく梅田に入り、目の前に大阪駅の建物が見えてくる。人ごみの中を歩き、大阪駅の御堂筋口に辿りついた。1,050kmに及ぶ長い旅が終わった。

藤原さんと大阪駅近くのおでん屋で飲んだ後、東海道線の新快速で米原へ向かう。京都で席が空き座ることが出来た。たちまち私は眠りに落ちた。列車は山科から逢坂の関の下あたりをトンネルで抜けた。

【歩き終えて】

東海自然歩道をとりあえず歩き終えて、もっと秋晴れのようなさっぱりした気分で落ち着くものと思っていたが、実際は歩き終えた感慨と言うものはあまりなく、ただ虚無感のようなものがあるといったほうがよい。歩き終えた次の日、インターネットで知り合った方と関ヶ原を歩いて、お祝いの言葉を多くいただくとともに、次の目標について聞かれた。

だが今の所は何も湧いてこないし、いい企画のアイディアも浮かんでこない。あの旅に出る前、計画を立てているときの油然と熱が湧いた気持ちにならないのだ。でも、いつの日か私は再び、山を歩くにしろ、平地を歩くにしろ、新しい旅に出るだろう。しめ切りに間に合いそうもなく困り果てた作家が「旅に出ます。探さないで下さい」と書置きを残して蒸発するように。

ともかく東海自然歩道の旅は終わったのでこれ以上書くことは何もないのでこの阿呆らしさ極まる徒歩紀行を終わることにする。が、いかにも締まりがないので、ロシヤ民謡の「仕事の歌」の一節を拝借して本稿の結びとしたい。

ヘイッ!この若者よ

ヘイッ!前と進め

さあ みんな 前へ進め

 

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