2001年10月2日(火) 所要時間9時間33分 費用発生24,000円
2310八王子=540京都・・・烏丸御池610・・・三条京阪・・・出町柳・・・鞍馬725−ニノ瀬745−夜泣峠805−玄琢950−1100菩提の滝1110−1200栂ノ尾−1325下六丁峠−1340念仏寺−1410渡月橋−1430松尾−1505桂温泉1540−1625山陰街道沓掛−1658南春日町−1700南春日町バス停1733=1800東向日−向日町1807・・・京都1821・・・新横浜2046・・・八王子2143・・・桜ヶ丘2200

東海自然歩道の旅もいよいよあと3日行程で、大阪箕面のゴールに到達できるという所まで進捗した。比叡山から帰ってきた翌週の休みに私はまたも旅に出るべく京都行きの夜行高速バスを予約した。だが最近は本業の仕事が容易でない事態になり、日々これ笹子峠のような険路を進んでいるかのごとき事態となり、仕事疲れがたまってきている。そんななか貴重な休みをさいて、まる一日歩き通そうと言うのだから阿呆らしさ極まる状況である。
前日の夜、打ち合わせが長引き、夜9時を回った時点で、「すいません、帰らせてください、バスの切符とってありますんで」と訴え、私は打ち合わせを抜け出した。上の方からどこへ行くのと聞かれたので正直に京都ですと答えた。いままでは概して伊勢だの伊賀のわけのわからぬ山ばかりのぼっていたが今回は京都(観光ではなく激歩であるが)旅行である。いったん家に帰り、あわただしく着替えてザックを背負い、再び八王子に向かって家を出た。八王子のスーパーで食料を調達し、松屋の牛丼で胃袋を満たしたあと、京王八王子のバスターミナルへ向かった。この京都行きのバスに乗るのも3回目である。
仕事疲れのせいか車内では全く目を覚まさずに眠りこけ、目が覚めたら三条京阪を過ぎていた。そのまま四条、五条、七条とバスは走り、新幹線の下をくぐって京都駅八条口に到着した。バスから降りて京都駅構内を地下鉄乗り場へ進み、地下鉄に乗った所で頭が急に痛み出した。リクライニングの体勢のままグウグウ眠ったせいであろうか、けっこうなペインが頭を打つ。しかたがないので烏山御池駅のベンチに座り、痛み止め薬を飲む。眠くなる副作用があるが致し方ない。さらに地下鉄と京阪電車を乗り継ぎ、出町柳から叡山電鉄に乗換え、鞍馬を目指す。
二軒茶屋から電車は山の中に入って行き、ニノ瀬、貴船口に停車して終点の鞍馬に着いた。待合室のベンチに座り弁当の朝食。そのあと意を決して7時25分に行動開始した。まずは前回打ちきった鞍馬街道に出て、それを京都方面へ下って行く。空は雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気である。細かい雨粒がシャツを濡らすが、構わず前と進む。森に囲まれた谷を線路に寄り添いながら下って行き、貴船川との合流点を過ぎてひとしきり下ると、早くもニの瀬の集落に入り、街道をはなれて夜泣峠への登りにかかる。線路を越えて山肌をからむのぼり道が始まる。たいしたことのない登りのはずだが、今日は身体が重いため、大汗をかきながら峠へ登って行く。
ジグザグの登りを経て、ようやく夜泣峠に到達した。北と南に尾根伝いの道が分かれ、夜泣峠の由来(惟嵩親王が幼少の頃、夜にここを通り大泣きしたという)を示す看板が立っている。ここからは下りで、すべらないよう慎重に下って行く。峠のすぐ先に見晴らしの利くところがあり、朝霞が賀茂川方面の谷を埋めている。ひとしきり下ると沢沿いの道となり、なおもくだるとダートの林道に出て、ほどなく賀茂川の谷に出た。かつて平安時代末期の院政で有名な白河法皇も意のままにならぬ困りごとの三つに挙げた賀茂川の流れであるが、現在はその面影はない。(ちなみに他の二つはサイコロ賭博と比叡山などの僧兵であった)雨の中アスファルトのくだりぎみの道をたんたんと下り、山幸橋を渡った後さらに進み、高橋バス停のあたりでバス道路からはなれ、南下して行くがここで東海自然歩道コースを見失った。大体の見当をつけて南に進んで行き、かなり歩いて京都市バスの西賀茂車庫の横に出た。
そこからは京都市の市街地図を見ながら、玄琢をメドにルートに戻るように歩いた。京都でもこのあたりは住宅街のせいか、古都の雰囲気はあまりしない。紫竹西通りを南下し、玄琢下の交叉点を右折し、坂を上がり源光庵ちかくで、ようやく正規のルートに戻ることが出来た。光悦寺の前を過ぎて、ホテルの横で県道と分かれ、急な舗装路を下り沢沿いにでて、そこから上ノ水峠へむかって谷をつめて行く。沢沿いの林道をすすみ、北山杉関連の工場をいくつか見た後、北山工房のところからいよいよ山道となる。峠へ向かい植林された木々を見ながら進んで行く。京都の市街地からそんなに経っていないのにこういうしんどい登りがあるのも京都ならではである。山道を登りきって、どうにか上ノ水峠に到着。
ここからは下りで、ほどなく京見峠への道を分けて林道に出、流れのかたわらを北に向かいもくもくと歩く。雨は完全に止み、代って青空と太陽が顔を出してきた。ほどなく菩提の滝に出た。滝壷を高巻きつつ下って行く。その少し先で昼食をかねて休憩を入れる。まだ三時間半しか歩いていないが身体が重い。とくにここからは単調なアスファルト歩きが多くなるので、ザックから気分転換剤のポータブルMDを取り出し、音楽を聴きながら歩きを再開した。好きな歌手の歌なので聞き惚れながら歩くうちに清滝川と国道162号に出て、なおもトリップ状態で車道歩き。懸念していた国道の交通量はそれほどでもなく、時折通り過ぎるダンプがいやらしいくらいであった。
そんなこんなで栂ノ尾着、あゆの塩焼きや湯豆腐や抹茶ソフトクリームの看板が立ち並ぶ店をやり過ごし、ほどなく国道から離れて沢沿いの道となる。高雄のあたりは観光ずれしており、渓谷沿いに桟敷席が並んでいる。紅葉の季節は大賑わいを呈するのであろう。観光ホテルの横から遊歩道に入る。渓谷の水面を見ながら進むが、この清滝川の印象はふつうの小川の流れ程度であり、揖斐川上流や湯の山近辺のような豪壮さはなく、ただ淡々とした流れが続いている印象をうけた。支流の堂尻川を分けたところでいったん林道に出て高巻き道を少しばかり進んだ後清滝に出てそこからまた渓谷歩きとなった。このあたりは濡れた岩を踏みながら歩く箇所もあり気が抜けなかった。
そのあと川を渡り、すこし登って車道に出た。右は保津峡、左は嵯峨野である。左に折れて今日最後の登りである下六丁峠への、車道であるが曲がりくねった登りを進む。ほどなく眼下に保津川が見え、山腹を巻き気味に登って行くと下六丁峠。頭上を嵐山パークウェイが通っている。クラシック音楽を聴きながら峠を折り、清滝からの道を合わせしばらく進むとあだし野念仏寺。ここからは嵯峨野の寺院巡りコースとなる。二尊院や天竜寺など、拝観料を払わねばならない寺院がいくつもあるが全て門前を素通りする。観光名所のため土産物店や飲食店が多い。たしかにこの区間は東海自然歩道の白眉なのだが、無名の山や村や寺をつないで歩いてきた者にとっては奇異に映る。このあたりは12年前、中学の修学旅行で巡ったコースだが当時の印象があまりないので、追憶にふけることはない。もっともあのころは勉強最優先だったから修学旅行の思い出などないに等しい。むしろそれから今までの歳月が虚しく感じられる。いったいこの12年間おまえは何をやってきたのか、たしかに大学は出て会社にも入った。だが日々仕事に追われ心の平穏はいまだ彼方ではないか、などと考えてしまう。
思わずシンミリしながら寺院巡りを続け、旧山陰本線の跡地を転用して出来た、嵯峨野トロッコ列車の嵐山駅をすぎて竹やぶの中を歩き、亀山公園から桂川に出た。水面に陽光がきらめき、先を見やれば嵐山の代名詞とも言うべき渡月橋である。ここまで来たのかという思いがこみ上げ、思わず涙がにじみそうになる。平日だが観光客で賑わう渡月橋をわたり、こんどは対岸の嵐山公園を下流方向へ進み、松尾橋を右折して阪急の松尾駅に出た。疲れてはいるが次回以降のことも勘案し、ポンポン山登山口に近い南春日まで歩いてしまうことにする。どうせそこまではほとんどアスファルトなのだから。
松尾大社の門前を左折し、路地裏を見当をつけながら歩き、ほどなく鈴虫寺。そのあとすぐに苔寺。ここで階段を登り、丘のふもとの道を淡々と歩いて行くと京都桂病院の前を通り、そのまま道なりに歩いて行くと国道9号線に出た。国道をちょっと進んだところに桂温泉の日帰り入浴施設の建物と吉野家が見えたので、まず牛丼の並と味噌汁と漬物をかき込んだ後、入浴料600円を支払い、温泉で一風呂浴びてから歩みを再開した。国道を歩き、そのあと旧山陰街道を歩く。夕暮れ時で涼しくなってきたので歩きやすい。歩きつづけて沓掛に出た。このあたりは新興住宅街らしく、多摩ニュータウンと街の作りがどことなく似ており、その中を自然歩道が通っているため不思議な感じを受けた。
そのあと国道を横切り、京都市立音楽高校の脇を通り、そこからは柿畑が目につく農業地帯で、野菜出荷場の前も通る。今日は山の中、市街地、山の中、渓谷、寺院、ニュータウン、農地ところころ沿線風景がロンドのように変わるので面白い。しばらくあるいて右折しちょっと山の方に入りこんで、少し登り小塩山への車道を右に分けて勝持寺の前を通り、石段を下りきって反対側の道路に出て、大原野神社の鳥居前を過ぎて、南春日町に出た。時刻は午後5時すこしまえ、本日はこれまでとして、金蔵寺・ポンポン山方面の道標にタッチした後、南春日町のバス停に向かい、阪急バスで東向日に出て、京都から新幹線で帰京した。
苦しくも、いろんな意味で変化に富んだ京都行だったが、大阪府入りは目前になり、残存行程数はあとニ日となった。