2001年9月19日(水) 費用発生 20,850円 所要時間 10時間23分
2310京王八王子=529山科540・・・草津615・・・貴生川653・・・紫香楽宮跡駅707−紫香楽宮跡712−845田代−900三筋の滝−1000林道終点−1010太神山−1125田上−1150洗堰−1240石山寺駅−1345西山休憩所−1500音羽山−1545逢坂山渡道橋−1620長等公園−1735南滋賀−南滋賀駅1750・・・膳所1817・・・米原・・・2000大垣2309・・・430品川・・・新宿541・・・630聖蹟桜ヶ丘

秋が訪れ、ハイキングを行うには格好の季節となった。しかし娯楽の基盤をなす社会生活は先行き不安になる一方であり手放しで喜べない。為政者は痛みに耐えろなどと拷問者のようなことを叫び、大衆は将来の不安に怯え、結果的に消費を萎縮させて小売業の売上高は減少してしまう。消費者全体がマイナス頭に陥り、企業は売上が減っても利益が出ないと市場に見放されるのでコストダウンに狂奔する。小生も目の前に積み重ねられた高い目標や、これをやりますと宣言した口にするのも忌まわしい項目科目を一時的に打っちゃらかしておいて、旅に出るのである。
火曜の夜仕事がはねた後、京王八王子駅のコインロッカーから登山用具の入ったザックを取りだし、そのあとスーパーで食料を買いだし、松屋の牛丼で腹ごしらえをしてから京王八王子駅のバスターミナルに向かった。深夜高速バスに八王子発京都行きという便があり、地元から出発するので楽チンだと考えたのである。さて夜行高速バスはすぐに中央道に入り西へ向かう。3列独立型でリクライニングの角度も深い快適なバスであるが、揺れが激しくてあまりぐっすりは眠れないのが難点である。それでも道中をまどろんだまま過ごし、気がついたらバスは高速を降りていた。5時29分、山科駅着。ここでJR線で米原行きに乗り、草津で草津線に乗換え車内で弁当を食べる。
貴生川からは信楽高原鉄道である。この鉄道はもとはJR信楽線であったが、赤字線で廃線候補にあがったので第三セクターとして再出発した鉄道である。二両編成のディーゼルカーは山の中をブルルンとうなりをあげながら走り、紫香楽宮跡駅に到着した。運転手に390円を支払って列車を降り、目の前の国道を東へ5分弱歩くと、列車事故現場の慰霊碑が見え、前回の打ちきりポイントに出た。
ここからダートの小道を北へ向かい歩きはじめる。きょうは快晴である。ほどなく紫香楽宮跡の遺跡である。奈良時代の聖武天皇は仏への信仰心が厚く、大仏を建立したことでも知られるが、740年代はちょっと政権内部のゴタゴタや(藤原氏が一時的に落ち目になり、橘 諸兄などの一派が政権を担当していた)飢饉や疫病でノイローゼになっていたのか都を移そうと考え、山城の恭仁京やここ紫香楽宮跡、また難波へ都をころころ移しまくったが結局平城京へ戻した。だがいまは面影をのこすものはほとんど何もない。遺跡を突っ切り、石段を下って反対側へ出て右折し、ほどなくダートの林道を歩くようになる。低い峠を越えた後、道は舗装路に転じまた低い峠を越える。ほどなく沢沿いの小道に入る。このあたりはここ数週間雨が多かったせいか、道が若干泥濘と化していた。
ほどなく丘を下り、立派な作りの家が多い田代に入り、県道12号線を東に進むようになる。しばらくすると右側にミホミュージアムの建物が見え、ジュースの自販機があった。暑いため体が勝手に自販機の方へ行って、ジュースを飲む。そこからカーブをふたつほど越えると左側にベンガラ色の吊橋が見え、それを渡り沢沿いをすすむと三筋の滝に出た。滝を瞥見してから県道に戻ってさらに東へ進み、大津市境の手前で左に折れて太神山方面の道を進む。山頂にある不動寺は信仰が厚いためか随所に幟が見える。林道をゆるやかに小一時間ほど登ってゆくと路傍休憩所に出た。ここでおにぎりの朝食。
そこからは太神山へ7分ほど急峻な登りをへて不動寺への分岐に出る。不動寺見物は割愛してそのまま田上への下りにかかる。矢筈が岳分岐、泣き不動と通過しつつどんどん高度を下げて行く。湖南アルプスと呼ばれており、岩盤が露出している箇所もあって、気の抜けない箇所がいくつかあった。山をくだりきると林道に出て、川沿いにどんどん下り、平地に出た。ここからは天神川ぞいに北へ向かう。田上公園でジュースを飲んで一憩した後、道はさらに北へ続く。天神川と大戸川が合流する地点で橋を渡り、こんどは大戸川沿いに歩く。稲津橋で大戸川を渡り左折し釣り人が多い土手沿いを歩き、県道に入り錦鯉の看板のある水産センターの脇から洗堰に出た。このあたりの勢田川は流れがなくただたゆたっているように見える。そこからは市街地の歩きでたちまち東海自然歩道コースを見失い、国道を頼りに北へ向かい、石山小学校で東海自然歩道に復帰して、京滋バイパスをくぐると山之辺コースの分岐に出た。
さらに北へすすみ、観光客でにぎわう石山寺に到着した。山門の前には何台もタクシーが止まっていた。そこからは国道沿いに北上し、右に瀬田川、左に旅館や料理屋や甘味処を見ているうちに京阪電車の石山寺駅についた。時刻はまだ12時40分。音羽山コースは十分やれる時間だ。暑くてたまらないのでアイスを食べる。カルピスウォーターを飲みながら坂を上がり、石山高校の脇を通り、そのあとの市街地歩きですこしコースミスをして幻住庵を見過ごした後、三田川ぞいに西へ進んで行く。すこし高度を上げると車道と分かれ、耕地の脇を上がって行き、ため池の間を通ってから沢沿いの森の中の心地よい道に入って行く。しばらく進むと車道と合流し、また登山道になりしばらく上がって行くと西山の休憩所。
ここからの登りは疲れているせいもあり厳しかった。階段の登りがいやというほど続く。息も絶え絶えになり、そばを流れていた沢の流れがなくなるとジグザグの登りを経て稜線に出た。そこからは急激なアップダウンを繰り返し、いいかげんうんざりしてくる頃パノラマ台に到着した。琵琶湖の眺めがよい。とうとう琵琶湖まで来たのだという感慨がこみ上げてくる。そこからは稜線上をゆるやかに登り下りを繰り返し、最後の苦しい一登りを経て午後三時すこしまえに音羽山に着いた。ここでパンの昼食。リポビタンDも飲んでおく。そこからは厳しい下りの連続であった。丸太の階段が連続し辟易する。転げるように高度を下げ、ようやく逢坂山の渡道橋に着いた。眼下の国道1号線を見ながら橋を渡り、渡ったすぐあとに「長等公園1.5k」の道標があり、無情にも道標は更なる登りを指示していた。
ヤレヤレと最後の登りにかかる。ほどなく尾根歩きになり、ゆっくり進んで行くと東に大津市街が一望できるポイントがあった。市街の向こうには琵琶湖が広がっている。さらに北へ進み、長等公園の遊歩道と混在して紛らわしいところを慎重に進み、長等公園を出た。そこからはまた市街地である。こんなこともあろうかと今回は大津市の市街地図を持参したが、それでも一定のカンは必要である。このあたりの東海自然歩道は「大津市歴史と自然の道」にインクルーズされており、大津市の道標の他は判断材料はない。広い境内の三井寺を過ぎ、大津市歴史博物館の裏から再び山道に入り、しばらく歩いて法明院から車道を歩き、閉鎖されたユースホステルの前を過ぎ、皇子が丘公園の中を北へ進むうちに西大津バイパスとぶつかりまたも道が分からなくなったのでカンだけで北へ進む。ほどなくアパートの裏手から皇子山古墳に出てルートに復帰する。柳川をわたり近江神宮の境内を南北に突っ切る。
近江神宮の北側からガードで県道をくぐり、細いアスファルト道を歩く。廃寺跡公園の横を通りすぐに三叉路に出た。右か左かどちらかを選ばなければならないが道標はない。だが私は左を選んだ(不正解)のでまたも西大津バイパスの横に出てしまった。強引にバイパス沿いを歩いて際川に出て、バイパスをくぐった所で道標を東海自然歩道の道標を確認したのでここを打ちきりポイントした。次回はここから再開して比叡山を目指すことになる。夕暮れの中、私は疲労困憊のふらつく足で京阪電車の南滋賀に向かった。新幹線をつかえばその日のうちに東京に戻れるけれど、コストダウンを図るためムーンライトながらで帰る事にする。二両編成の電車で膳所に出て、そこからJR線で米原乗換えで列車は闇の中を走り大垣に到着した。大垣の銭湯で一浴し、祝杯を挙げてからムーンライトながらで帰途についた。