1993年12月12日(日)
高尾山口1040−高尾山頂1220−城山1320−1420相模湖

このコースは子供の頃から何回か歩いた覚えがあるのだが、日時を特定はできないので、あらためて歩きなおすことにする。高尾山口からほとんど遊園地化した道を歩く。楽勝ムードも時にはいいものだ。薬王院で参拝をした後、ほどなく人でごった返す高尾山頂。休憩する気も起こらず、城山へ向かう。ここから城山までは桜の名所一丁平があり、私は高尾山の中ではここが好きで何度も来ている。城山も人が多かった。なめこ汁を茶店で注文し、昼食を取る。丹沢と富士が大きく姿を見せている。
早々と相模湖へ下る。まったく楽勝ペースである。ほどなく城山下から国道20号に出、弁天橋を渡り、車道を少し歩くと、前回来た嵐山登山口に着く。前回来た道を逆にたどり、ほどなく相模湖駅に着く。少々物足りない感じがした。
1993年11月14日(日)
相模湖1050−嵐山1135ー鼠坂1210−石老山登山口1245−顕鏡寺1305−融合平1335−石老山1415−篠原1505ー藤野1650

浪人中の気分転換に東海自然歩道を歩いた。相模湖駅から少し歩き、ダムの上を横切り、少し歩くと嵐山登山口である。嵐山へはここからいきなりの急な登り。息を切らしながら大汗をかき、嵐山から感じのいい山道をたどり、降りつくと農地と相模湖ピクニックランドの、わずか1メートルの隙間につけられし、フェンスに囲まれた味気ない道をゆく。そして田舎道を少し歩き、石老山登山口にたどり着いた。巨岩、奇岩の点在する登り道をゆき、顕鏡寺からかなりの登りで疲れ、相模湖の眺めのよい融合平を過ぎ、稜線上のコブを二つ三つ越えてやっとのことで石老山に到着した。
篠原への下りは転げ落ちるような急下降の連続であった。恐る恐る高度を下げ、農道に出て、午後三時過ぎに篠原バス停に着いた。しかし藤野行きのバスは一日3本しかなく、次のバスはなんと三時間後。かかる何もなき所でそんなに待ってられないので無理やりバス道を藤野まで歩いた。
1994年3月13日(日)
藤野736=篠原800−石砂山850−焼山登山口930ー1150焼山1205−平丸分岐1232−1330平丸
藤野からのバスは日曜朝の下りだからかも知れぬが、藤野から終点篠原まで乗客は私一人の完全貸切状態であった。そのうちこの路線はつぶれるのではないかと危惧したくなる。
篠原から歩く。田舎を感じさせるほのぼのとした道を経て、ほどなく登り口から石砂山の登りにかかる。植林されし林の中を登り、頂上直下の階段状登りをこらえると静かな石砂山頂上に着いた。これから向かう裏丹沢の山々が大きいが、頂上部にはまだ雪があるのが見える。若干の不安を覚えつつ伏馬田へと下り、林道を歩き道志川及び国道413号をよこぎり西野々に着く。
さて焼山(1058m)への登り2時間は厳しそうだが腹をくくるしかない。スローペースで登ってゆく。今回は難儀するかもしれないと思い、新兵器の、山なれた中高年登山者が必ず持っている、伸縮自在の登山用ステッキを持ってきたが、かかる急な登りには非常に有効である。登る一方の道にうんざりする頃神奈川県管理事務所の人に出会い、焼山から先は積雪ありとの情報を受ける。延々のぼってゆくと案の定、雪が現れた。
ステッキを雪に刺してバランスを保ち、滑ることを警戒して恐る恐る登ってゆく。木々に積もった雪が時々ガサッと落ち、まるで雪が降っているかのごとき錯覚を受ける。
登山口から2時間あまりで焼山山頂にたどり着いた。本当に疲れた。昼食を取り気分を落ち着かせる。焼山には展望台が造られていたが、雪の残る鉄の螺旋階段を登るだけで怖くなり、上まで行って見たが長居する気は起こらなかった。雪道のゆるい登りを平丸分岐へ前進する。雪は山に更なる静寂を与えるかのようだ。
ほどなく一年半前に来たはずの平丸分岐に着いた。同じ場所でも夏と早春ではまったく違う光景である。ここからは前に一度下ったことのある道で、三十分も歩くと残雪は消え、見覚えのある道を淡々と下り、平丸に到着。
運良く十分待ちでバスが来た。雪山を通ってきたことが嘘のように、春の津久井湖は穏やかであった。