第10区 西沢渓谷ー丹波

1998年6月21日《日》

835塩山=944西沢渓谷入口ー958新地平ー1153雁峠ー1237黒エンジュー1425将監峠1503−1600三ノ瀬ー1715青梅街道ー1848丹波

 社会人になって初の本格的山行は、新地平から奥秩父を行けるところまで行くという破天荒なものになった。日本徒歩横断のためにはどうしても西沢渓谷と奥多摩を結ばねばならない。高尾からいつもの青い列車に乗る。いつも通りの旅情を感じる。笹子トンネルを抜け勝沼のぶどう畑を過ぎ、塩山駅におりたつ。

 塩山からの西沢渓谷行きのバスはトロトロと走る。定時運行を考えるあまり、かなり遅いように思う。そのうえ乾徳山登山口に立ち寄るからますます遅く感じる。笛吹川をさかのぼり、左手に広瀬ダムが見えてくると終点の西沢渓谷は近い。

 ここには5年前の五月初旬、雪の甲武信ヶ岳からフラフラになりながら降りたところだが、雁坂トンネルが開通したせいか前に来たところという印象が薄い。レストハウスの建物に見覚えがあるような気がしないでもない。まずはここから広瀬湖畔の新地平まで今来た道を戻る。道の駅みとみを過ぎ、十五分ほど歩くと雁峠への入口を示す標識がある。まずは広川ぞいのダートの林道歩きである。

 道の駅の自販機で買ったジュースをちびちび飲みつつ林道を歩く。ゆるい登りなので少ししんどい。一時間二十分の林道歩きを終えると沢を渡り登山道に入る。幾度か沢を渡るがこの沢はさらさら流れる小川である。傾斜もさほどひどくなく、六月の緑が心地よい。沢の流れが見えなくなると低木と笹原の中の登りで、古礼山からの稜線が見え、雁峠の笹原に着いた。笠取山が見える。そこから少々尾根を歩き、多摩川源流の水干を過ぎ、一ノ瀬への道を分ける黒エンジュというところで昼食。

 ここから将監峠までは、前半は山腹のトラバース道で楽にたどれたが、後半になると沢筋が荒れていたり大崩壊地があり大迂回させられるところもあり、かなり苦労した。和名倉山及び唐松尾山からの道を山ノ神土で合わせ、ここからは原生林の中の尾根歩きである。複数のイノシシの真新しい足跡を発見する。子連れだったら気が立っているから谷底に突き落とされかねないなと思いつつ将監峠着。風が出てきて寒い。思ったより手ごわいコースで行程がはかどらないし雨も降ってきたので三ノ瀬へエスケープする。

 三ノ瀬への道はダートの林道で歩きやすく稜線から集落まで一時間であった。が、ここからの車道歩きが長いのだ。青梅街道に出るまで6km、そこからさらに丹波のバス停まで10km、覚悟をきめて雨中のウォーキングである。まずは雨の一ノ瀬林道を行く。耳にウォークマンをはめ、多摩川の峻険な幽谷を見ながら淡々と歩く。60分テープを聞き終わる頃、青梅街道に出た。ここからあと10km、撤退した罰ゲームのつもりで黙々と歩く。車の往来があるのでウォークマンは危ないので外す。雨は降り続き当方はひたすら歩く。

 多摩川は深い谷を刻み青梅街道は崖に張り付くようにして続いている。巻きだしや落石防護ネットが次々に現れる。山々は雨に煙り、深い谷は霞で埋まりゆく。車さえなければ絶景を楽しめるのにと思う。雨に打たれっぱなしなのでメガネに雨滴がつき視界が悪くなる。メガネにワイパーがあったらなと思う。丹波山トンネルを過ぎ、ナメトロという景勝地を過ぎ、ずぶ濡れになりながら丹波のバス停にたどり着いたが最終が出た後だった。幸い飛竜山から下りてきた三人パーティーの車に奥多摩駅まで乗せていただいて助かった。寒さに震えつつ電車に乗った。

翌日は筋肉痛でけっこうな苦しみを味わってしまった。

第11区 梓山ー甲武信ヶ岳ー西沢渓谷

1993年5月1ー2日《土・日》

信濃川上710=740梓山ー835毛木平ー1010ナメ滝ー1135水源地ー1205主脈1330−1350甲武信ヶ岳ー1405甲武信小屋【泊】700−720木賊山ー1000ヌク沢ー1040西沢渓谷

 浪人時代の甲武信ヶ岳登山である。残雪の量を完璧に読み違え、頂上近くの雪原でぶっ倒れた思い出のある登山である。生まれてはじめて山小屋に泊まったのもここである。

詳細を見たい方は登山記録 甲武信ヶ岳のページへ

第12区 梓山ー信濃川上駅

1997年8月8日《金》

920梓山ー1225信濃川上

 金峰山の帰りに無理やり歩いた。川端下から梓山へ向かい、高原のレタス畑や白菜畑を眺めたり、収穫風景を見たり、天狗山や男山を見たりで、さほど退屈はしなかった。三時間半ほど千曲川を見ながら、えんえんと歩いて昼過ぎに信濃川上駅にたどりついた。

 

ここから先のコースは未実施で、ルートも検討中で、霧ケ峰や美ヶ原を経て松本までをとりあえずの目標としていきたいと思っております。

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