1999年5月2日(日) 所要時間6時間13分
642多摩センター・・・新百合ヶ丘・・・小田原・・・富士・・・953富士宮1045=1215割石峠ー1300A沢貯水池ー1400麓1410ー1505猪の頭ー1537田貫湖ー1644長者ヶ岳ー1703分岐ー1828上佐野(泊)

人生とは良いことと、嫌なこと・辛いことの繰り返しであると常々私は思っている。嫌なこと・辛いことはすぐに忘れてしまい、いい事だけを思い出として蓄積してゆくのが賢者の生き方である。しかし、いい思い出のための趣味娯楽も、労働による給料を原資としている以上、「仕事あっての趣味娯楽なり」というロジックが確立される。仕事で色々嫌な思い、つらい思いをして得た給与をいい思い出の為につぎ込むのであるからこの道楽の業は深い。ケの日が苛酷なものであればあるほど、ハレの日の祝祭は盛大なものとなる。
というわけで、5月頭の連休に東海自然歩道の続きを行うべく、私は早暁六時に自宅の鍵を閉め、山と歩きの祝祭の旅に出た。さて、今回はプランらしいものは殆ど作成しておらず、ただ富士宮発10時45分発のバスに間に合えば良いと言う考えのもと、朝の光、体中に浴びニュータウンの丘を横切って多摩センターから小田急の人となった。
休日朝の小田急は丹沢などの山に向かう人で混んでいた。連休はどこの山も混むが東海自然歩道は酔狂なコースなので歩く者はあまり居ないに決っている。そして小田原で東海道線に乗りかえる。磯と海が見え、根府川で特急「東海」に抜かれ、熱海で島田行に乗り換えしばし車内でまどろみ富士で身延線に乗りかえる。この企画も回を重ねるごとに東京からの距離が長くなり歩く前の疲労がたまり費用も多額になってゆくのである。
西富士宮行きの電車はふざけたことに一両だけであり、多くの行楽客ですし詰め状態の中を我慢して富士宮に降り立つ。バスの時間までやや間があったので遅い朝食にすべく駅前を物色するも食堂は見当たらず、ファストフーズ店も11時からの営業だという。このままでは欠食になってしまうと思い、止むを得ず駅前のスーパー地下で焼鳥丼弁当を買い、ぺデストリアンデッキの上で富士山を見ながら食べた。
一日二本しかない河口湖行きのバスも混んでいて立つ人もいる盛況ぶりであった。一時間しないうちに割石峠のはずが連休ということもあり大渋滞に巻き込まれ白糸滝入口で動かなくなり当方は気を揉む。これで今日の予定は滅茶苦茶の出たとこ勝負になってしまった。白糸の滝レストハウスやまかいの牧場、もちやドライブインの駐車場を瞥見したが車で一杯。これなら大渋滞もむべなるかなである。朝霧高原を過ぎてようやく解放されバスは荒涼たる地帯を走り、前回打ち切ったガリバー王国入口(割石峠)バス停で下車。もう昼過ぎであり早立ち早着き原則の登山者として失格である。
旅程の都合上、前置きが長くなったがここからが本編である。
静岡県に入った東海自然歩道は整備状況が良く、キロ程入りの道標が随所に立っていて安心できる。まずは山腹のトラバース道である。対面には富士山が聳え、上家には竜ヶ岳、下家には雨ヶ岳がそれぞれ控え、眼下の四角いA沢貯水池は麻雀卓のようである。ほどなく端足峠登山道を分け、A沢貯水池めがけて下る。ほどなく貯水池のフェンスの脇をたどり、朝霧高原へと向かう。涸れた沢を吊橋で越え、雨ヶ岳及びタカデッキを見ながらあずまやの横を通り、バスの遅れの分を取り戻すべく猛然と歩くと朝霧高原の牧場に出る。富士山をバックに牛が草を食んでいる。
牧場の脇の道を進むと舗装道に出てしばらくすると東京農大の農場を左に見て、ほどなくきれいなトイレのある麓。ここのベンチに座り昼食。菓子パン2個をほおばりすぐ出発。麓山の家の横を通ると観光ポイントでもある麓の吊橋を渡りそこからはぱっとしない道を進みグリーンパークの裏を通り少し歩くと猪の頭中学のプールに出る。そこから林道や小道を通ると猪の頭の集落に入る。乳牛の牛舎が並ぶ通りを行き、暑さにたまりかねて自販機でレモンスカッシュを買い、飲みながら歩いて行くとオートキャンプ場への車道に入り、道標に従い左に曲って、橋を渡りしばらくあるくと小田貫湿原の横を通り、なおもアスファルト道を進むと田貫湖の脇に出る。
時刻は午後三時半過ぎ、ここで打ち切るのもどうかと思ったので長者が岳を越えることにし、急な登りに挑む。三時間ほどズカズカ歩いた後の登りはこたえる。息を切らしつつなんとか自分のペースに持ちこみ考え事をしながら急な登りを重ねる。夕刻になり、ミルクを溶かしたような霧が山を覆う。先のことは考えていないが日没までに上佐野に着きたいと思っているが念のため多摩センターのコンビニで懐中電灯と電池を買っておいた。随所にゆるい登りがはさんであるが苦しく感じる道である。
田貫湖のざわめきや車の音がほぼ聞こえなくなる頃、登り始めてから一時間経過。コースタイムは90分。今日はこれまでコースタイムの七掛け以下で歩いて来たのでそろそろ頂上ではないかという期待感が出てくるも急な登りは続き、心臓をバクバクいわせつつ長者が岳頂上にたどり着いたのは登りはじめてから67分後であった。標高1335mのこの山は「山梨百名山」にも選ばれている。霧のため展望はほぼ無い。呼吸を整えてからさっさと天子が岳との鞍部めがけて下る。とんとん下ると、上佐野との分岐に着き再び山梨県入り。時刻は午後五時を回っている。上佐野まで6kmもあるが頑張って歩かねばならない。
まずはジグザグを切る下り。そこから栃広谷のトラバース道。崩壊地の多い荒れた山だがコース整備は山梨県であるが完璧にされており、真新しい木の桟道をしずしずと感謝の念を込めつつ歩き行く。このあたりは静かなコースのせいか、新緑の緑がひときわ美しく見える。ほどなく樹間から山の端に日が沈みゆく。山で日没を行動中に見たのははじめてかもしれない。暗くなる前に上佐野にたどり着かねばならないので本気でガンガン下る。1キロごとに道標があり、それによると一キロあたり15分フラットで下りていたからかなりのハイペースである。残り2キロを過ぎるといよいよ山は薄暗くなり始め当方も必死の形相でドスドス下る。ほどなく沢筋の道に出て、紅く塗られた丸太の階段を下り行くと茶畑に飛び出し、なんとか上佐野に到着した。
内船行きのバスは17時が最終でしかも休日運休であり当方は眉をしかめる。仕方ないので上佐野ののどかな村を下り、民宿富士屋の門を叩いた。予約はしていなかったが泊ることができた。佐野川奥の村の民宿なので夕食は山菜だらけであった。風呂に入ってから二階の15畳の大広間に一人布団を敷いて横になる。テレビも何もなく、2年前の週刊現代を読んでから眠りについた。
明け方、鶏の鳴き声と寒さで目が覚める。朝食の味噌汁の具もゼンマイがたっぷり入っていた。宿泊料4800円をお婆さんに支払う。疲れはあまり取れていないが思親山までは二時間の登り、踏ん張りどころである。茶畑の間を登り、ほどなく佐野峠への登山道に入る。傾斜はそれほどでもない筈だがいかんせん体が二番搾りの状態の為、エンジンが悲鳴を上げる。
1999年5月3日(月) 所要時間3時間35分
上佐野645ー佐野峠745ー思親山820ー源立寺942ー1020井出1133・・・1333甲府1339・・・1519八王子
佐野峠への道は緑に囲まれた中のジグザグ道で、歩いていて心地よい。が、弱った体にはこたえる。息を乱しつつ朝日が緑に映ゆる道を登り行くと黄色い重機が見え、ほどなく佐野峠にたどり着いた。コーヒーを飲んで息を整えてから最後の登り、思親山に挑む。変哲の無い丸太階段と緩い登りの道だが、当方は必死の形相で登る。佐野峠から三十分ほど登るとすこしの下りを経てそれから丸太の急な階段、そして緩い登り。三度目の急な階段を登りきるとこれまた山梨百名山の標柱の立つ標高1030mの思親山に着いた。ベンチが朝露に濡れている。
あとは富士川めがけて下るのみ。だらだらとした長い下りを、とぼとぼ進む。途中、富士川方面の見晴しの良い箇所があり、とうとう来たのだなあという感慨にふける。内船駅への道を分け、林道に出会い、降りて行くとひょっこり八木沢の集落に飛び出し、源立寺の前を通る。ここからは曲がりくねった林道を淡々と下り、ほどなく身延線の踏切に出くわした。眼前には富士川がゆったりと流れている。思ったより川幅が広い。
時間的には早いのだが疲労困憊のため本日は終了として、井出駅のベンチに座り身延線の電車を待つ。甲府行きが先に来たので甲府回りで帰ることにし、身延線の車窓から富士川を眺めているうちに私は眠りにおちた。