YAMAMIX CLIMAX 2006 追撃戦 (Cadenza mix)
99 薬師岳 2926m
2006年8月7−8日(月・火) 所要時間9時間5分 費用発生:45,500円
前夜2200京王八王子・・・新宿・・・神田・・・上野2331・・・625富山633・・・722有峰口735=折立835−956三角点1000−1134太郎平小屋1200−1330薬師岳山荘1337−1418薬師岳−1455薬師岳山荘(泊)
510薬師岳山荘−610太郎平小屋−710三角点−755折立810=853亀谷温泉1015=1130富山1153・・・1355越後湯沢1403・・・1514上野
私が登山のようなものを始めたのは1991年、高校二年のときに富士山に登ったのが最初だった。ほぼ同じころ、航行の図書室にあった深田久弥の本(日本百名山)と運命的な出会いをしてしまって、この本に触発されていろんなところへ行くようになった。そしてそれから15年、時は流れて私も三十路に突入し寸暇を割いて山に出かけているうちについに百名山全踏破に王手をかけるに至った。百名山に登ることは有名ブランド品を買いあさるのと同じことだと思っているが、あの日の思いを全踏破という形に出来るところまでもう少しとなってきて、うれしいことは確かだが、百座登頂が終わったあとの人生の張りがなくなりそうで怖いのも確かだ。
心乱れているが、百名山踏破が間近になって気が急くから、幌尻山行から帰ってきてから中四日、暑い日が続いている上に仕事では難題がこなしきれないぐらい降りかかってきており体調は万全ではないが、もうここまできたら勢いだ行っちまえという感覚で、まず北アルプスで最後まで残った薬師岳を始末すべくザックに荷物をパッキングした。この山は2年前に鷲羽岳・黒岳・黒部五郎岳とセットで登る計画を立てたが、登山中に風邪をひいてしまい、左の三座はどうにか登頂したが太郎平まで来て気分が悪くなり、眼前の薬師岳を恨めしく見ながら折立へ下山したという因縁のある山である。さて日曜の夜、会社がはねてから新宿・神田を経由して上野へ向かい、上野発23時31分の夜行急行「能登」で富山へ向かう。この列車に乗るのは4年前の剣岳山行以来である。
夜行列車は夏休みシーズンなのにがら空きで、例によって前の座席を回転させ4人分の席を占拠しLの字になって寝る。そして夜が明け、列車は越中宮崎あたりの海岸沿いを走っていた。上越線内で人身事故があった関係で40分ほど遅れているとのアナウンスがあった。これできょうは仕掛けが一時間遅れてその分暑い中での行動となる。6時25分ころ富山着。富山地鉄乗り場へ急ぎ、立山行きの電車に乗る。富山地鉄は年季の入った車両でゴトゴト揺られるうちについ眠くなってまどろんでしまう。
目が覚めたら電車は山奥をゴトゴトと走っていた。しまった有峰口を寝過ごしたかと思ったが、次に止まった駅は有峰口ひとつ手前の千垣であった。有峰口で折立行きのバスに乗り換える。2年前に乗ったときは和田川沿いの狭いダートの険路を走るイメージが強かったが、あれから改修工事が進捗したのか、2年前にはない長いトンネルがいくつかあって、ダートの区間もあるにはあったが、わりあいスイスイ走っていた。有峰ダム展望台でバスは時間調整をしたのち、なお登っていって折立を目指す。なるべく早く歩き出したかったので、車中でウインナーロールの朝食。
8時35分ころバスは終点の折立に着いた。さっそく歩き始める。この道は2年前に太郎平から2時間5分で下ったコースなので3時間半あれば太郎平まで行けるとふんでいた。この道、三角点までは木の根を絡みながらの急な登りの連続なのできつい。急峻な登りをぐいぐい高度を上げてゆく。夜行明けでしかも暑いのでかなり苦しく感じた。折立から一時間少々の悪戦苦闘を経て、三角点へたどりついた。薬師岳頂上部の稜線がよく見える。ここで水を飲んで一休みしたあと、北海道では熊が怖くてつかえなかったMDウォークマンで音楽を聴きながら登りをしのぐ手を使った。
緩い登りを快調に進む。ほどなく登山道は木枠で仕切られた石畳の上を歩く歩きよい道となり、足取りもはかどる。伸びやかに続く遊歩道然とした道を進み、五光岩のベンチを過ぎてなお進むと、見覚えのある太郎平小屋の建物が見えた。2年前と同じように太郎平小屋でラーメン(600円)の昼食。ここのラーメンは下界並みの値段で下界以上にスープのおいしいラーメンである。2年前に食べたときはあまりのおいしさに緊張の糸が切れて熱を出してしまって太郎平小屋泊まりを余儀なくされた因縁がある。左側は薬師岳が威容を見せているが、雲がかかりだしている。雲ノ平方面に目をやれば霞のかなたに黒岳の形のよさ。
ラーメンを食べ、いよいよ薬師岳方面の道へ入る。平坦な木道をしばらく進むと沢の音が聞こえ出し、そのあと一下りして、テントが林立する薬師峠のキャンプ場を横切る。そのあとは小さな沢沿いの急峻な登り。しかし苦しい箇所はそんなに長く続かず、涸れた谷筋状の道をひと登りするともう愛知大遭難碑の立つ薬師平。小広い平地を木道で通過。そこからだだっ広い斜面を上がってゆく。一番上には薬師の避難小屋が見えている。白ペンキのコースサインに従って黙々と高度を上げてゆく。悪いことに小雨がぱらついて来た。
風よ、空よ、山よ 応援ソング 「安定の幻想」 作詞・作曲 林 明彦
まだ 光は見えない それでも歩き続ける
幻想と 分かっていても 魂の安らぎ 求めて・・・
午前一時 最終のホーム 今日も明日も斗いは続く
遙かな旅 終えられる時 いつかと言う日はいつだろう
あのころ 立てた 計画の 半分以上 消されてしまったけど
まだ 苦しみは続く それでも歩き続ける
呆れ悲しみ 空しさ覚えても 魂の安らぎ 求めて・・・
世の荒波 人ぶつかり合う 成功者たちを うらやんでしまうけど
自分は前へ進んでいるのか 終わりなき旅 叫びたい気分
傷ついた翼 休めるために いろんな所 出かけたりしたけど
まだ 光は見えない それでも歩き続ける
幻想と 分かっていても 魂の安らぎ 求めて・・・
薬師平から40分、道がやや平坦になったと思ったら突如目の前に薬師岳山荘の建物が見えた。時刻は午後一時半、ほんらいならここで行動を打ち切って頂上は明日の朝にまわすべきなのだろうが、台風が日本の南海上に来ていて明日の好天の確信がないのと早く99座やってしまおうという急く思いがあって、とりあえずザックを小屋に預け、アタックザックに雨具とペットボトル1本だけ入れてアタックに出た。目の前のドーム状の大きな丘を一歩一歩丁寧に登る。ほどなく雨が本降りになってきたので雨具を羽織って登りを続ける。ほどなく丘を登りつめて避難小屋の横を通過。東南稜との分岐の案内標識がある。
ゴロゴロ、ドガシャーン。雷鳴が聞こえ出し雹まで落ちてきたが頂上まではあと少し、稜線近くの岩状のトラバースを過ぎると目の前に数点のケルンと頂上の祠が見えた。あとはそこまで雷におびえながら足を運べばよかった。午後2時18分、頂上に到着。標柱と祠のあるピークには回り込むようにトレイルがあったが、めんどくさいので露岩伝いに直登した。標柱にタッチし、セルフポートレートを撮って、祠の前で手を合わせストックで鐘をコーンと一突きし、頂上滞在15秒であわただしく退散。岩の上では滑らぬよう気を使って、東南稜分岐からは眼下の小屋めがけて一目散に下降した。いつのまにか雨脚は弱まっていた。さっさと下り、薬師岳山荘には午後三時前に帰着。
太郎平まで下りられないこともなかったが、まだあたりは雷鳴がゴロゴロいっていたので小屋に宿泊手続きをする。2食付で8400円。ポカリスエット(400円)を飲みながらストーブにあたり湿っぽくなったシャツを乾かす。薬師岳山荘は狭い小屋で2階へ上がる階段はハシゴ並みに急角度で「命綱を持って登ってください」という注意書きがあった。きょうはそれほど混んでおらず、布団ひとつを占領できた。6時からの夕食は南瓜と玉葱の天ぷら、おでん、ジャガイモの切れはしの入った薄い味噌汁、ひじき煮、春雨の酢の物といった内容であった。缶ビール(600円)を飲みながら平らげる。
薬師岳山荘から薬師岳方面を望む
疲れからか九時ごろから三時過ぎまでまあまあ眠れた。山小屋の朝は早く、夜明け前からバタバタしだす。当方も5時からの朝食をかきこんだあと小屋を後にし、さっそく戻りにかかる。朝日が山々を照らす中、北ノ俣岳、黒部五郎や遠くに槍ヶ岳を望みながらの心地よい下りははかどる。あっという間に薬師平へ降り立ち、急な下りをこなしてほどなく薬師峠のテント場を通過。ここからの登り返しで少し息が乱れたが、すぐに平坦な木道となって、小屋から一時間足らずで太郎平小屋までもどってきた。小屋横の水場で水分を補給したあとMDウォークマンの音楽を聴きながら折立への下りにかかる。
歩きやすい石畳の道を快適にすっ飛ばして、太郎平から一時間足らずで三角点まで戻ってきた。水を飲んでちょっとだけ休んでから、こんどは急峻な下りをすこし本気を出してドカドカドカと下った。木の根、土の上、石の上、足の置き所を見定めてスパスパと足を置いてゆく。ほどなく下界の車の音が聞こえ出して、なお快調にとばしてゆくと折立の登山口に帰着。2年前は太郎平から2時間5分を要したが、今回は1時間45分で下ることができた。
8時10分のバスで富山へ向かう。今回は途中の亀谷温泉に一時間ほど立ち寄って汗を流した。11時半、富山に戻ってきて、「ぶりのすし」を購入して越後湯沢行き特急「はくたか11号」の中でそれを食べた。列車は親不知のあたりをトンネルをくりかえしながら疾走。たちまち私は眠りに落ちた。越後湯沢で新幹線に乗り換えて一時間余、15時過ぎに上野到着。都内某所で巨大コーラとエビピラフ、リンゴのタルトでひとり祝宴を張った。これで百名山の登頂数は99座となり、残りは東北の朝日岳のみとなった。長かった旅の終わりが近づいている。