山紹介及び最も楽な登り方:
北アルプス南部、槍・穂高連峰から蒲田谷をはさんだ対面にそびえる個性的な山。槍や穂高のような派手さはないが、しっかりと稜線を張った気品のある山である。歴史的にも播隆上人ゆかりの山として、槍ヶ岳と並んでその名を知られている。やはり穂高の展望台として絶好であり、笠ヶ岳山荘のテラスには穂高連峰を見るためのコイン式双眼鏡まである。最も楽な登り方は、新穂高温泉からの笠新道ルートだが、急な登りを重ねるので苦しい。難易度4。
登山記録: 2005年8月15−16日(月・火) 費用発生22,250円 全所要時間:11時間14分
8/14夜:2300新宿高速BT=(車中泊)
8/15: =340平湯温泉700=741新穂高温泉−836笠新道分岐−1220杓子平−1327稜線分岐−1435笠ヶ岳山荘1720−1733笠ヶ岳1736−1747笠ヶ岳山荘(泊)
8/16: 550笠ヶ岳山荘−638稜線分岐−720杓子平−909笠新道分岐−943新穂高温泉1020=1220松本1241・・・1406小淵沢・・・1632高尾
なんとしても百名山を90座の大台に乗せたいと思ったので、相次ぐ山行で手元不如意になるのを承知で決行した。お盆休みの時期に二連休を確保し、もはやターゲットの選択肢はないも同然なのであって、北アルプスの残り2座のうち比較的お金のかからない笠ヶ岳のプランを練り、夜行高速バスの券を押さえた。登山日が雨の予報になってしまったが、ここまできたら気合いで登ろうと判断し、日曜の夜会社がはねた後、私はいつものようにスーパーでパンや飲み物を買い込んで、京王八王子のコインロッカーから荷物を回収し、京王線の急行で新宿へ向かった。
新宿高速バスターミナルは各方面の夜行バスを待つ人で賑わっていた。23時発の飛騨高山行きのバスに乗り、首都高から中央道に入って西へ向かう。車内でそれなりにウトウトして、気がついたらバスは安房トンネルを抜けていた。ほどなく平湯温泉に到着。ここで新穂高温泉行きのバスを三時間以上待つ。昨年の鷲羽・黒岳山行のときは早い時間からの仕掛けが必須だったので近くのあかんだな駐車場からタクシーを使ったが、今回は予算上の制約があり、歩行時間から考えて遅い仕掛けでも大丈夫と考え、おとなしくベンチに横になりバスを待つ。いくら夏とはいえ山奥なので寒い。
お盆のピーク時なので六時にレストハウスが開き、月見うどんとクロワッサンの朝食。土産品コーナーの飛騨さるぼぼ人形などを見ながら時間をつぶし、7時発の新穂高温泉行きバスで一眠りして、7時41分ころ新穂高温泉に到着。昨年と同じように蒲田川左叉への林道を進み、ホテルニューホタカの奥からカーブをふたつ切って川沿いの道を進み、穴毛谷の堰堤を見てから中崎橋で対岸へ渡りしばらくすると笠新道の分岐に出た。昨年は林道をさらに奥へ進んだのだが今年はこの分岐から笠新道の急登連続に挑む。
時折石のごろついた歩きにくくしんどい登りをゆく。山道に入ったのを見計らったように雨が落ちてきた。雨具をつけると暑苦しくなるのでビニール傘をさして登りを続ける。笠新道の登りはかなりしんどい。途中の杓子平までこれといったポイントがなく急な登りで高度を稼がされるのである意味槍穂高より厳しいかもしれない。しかも足元はやたらと大岩が張り出し、自分の歩幅で登らせてくれない。ステップの都合でエイヤッと大股で50センチぐらいを上がる時が苦しい。しかも鉄の踏み板や4段くらいの短い鉄梯子まで現れ辟易する。
ところどころに現在の標高を記した看板があるが、苦しい登りは延々と続く。時折山腹を巻き気味に上がる箇所もあるが、基本的には岩ゴロゴロの歩きにくい道で、しかも足場にすべき岩が平たいのならともかく傾いてたり細かったりして足場にしづらい。雨なので滑らないように気を使わなくてはならないし、バランスをとるべき左手が傘をもっているので使えないという悪状況下での登高となった。行動開始から三時間後、雨脚が強くなってきたので観念して雨具をつけ、菓子パンの行動食。
高度2100から2400くらいまでの一時間弱がたいへん苦しかった。雨がザアザア振り続ける中、集中力を切らさぬよう足の置き場を定め登り続けてゆく。1回茂みの中にストックを突いたつもりが空振りしバランスを崩してしまった。雨は降りつづき容赦なく身を叩く。ザックカバーはしているが雨脚が強いのとザックカバーが古いのでザックの中はずぶ濡れで水を吸って重くなってきている。また傘をさしっぱなしの左肩が痛くなってきた。十二時前、集中力が切れたので、雨の中憮然と佇む。自分はいったい何をしておるのかとも思う。
しばらく休んだあと、気を取りなおし、MDウォークマンで倉木麻衣を聴きながら登高を続ける。ほどなく小尾根を乗越えた所で杓子平に出た。ここからしばらくは斜面を横切る道が続くも、おりからの雨で道がせせらぎと化しており歩きにくい。雨水が斜面を勢い良く流れたところを横切る所もあり気が抜けなかった。
雨降りて 川へと化ける 杓子平
どうにか小川地帯?を切りぬけ、再度稜線へ向けての急な登り。こんどのは稜線上へぐわっと突き上げる厳しい登りで息も上がる。どうにか抜戸岳の稜線を乗越え、縦走路の分岐にたどり着いた。雨脚が弱まってきたので休まず前進を続ける。すこし風が出てきた。しばらくは稜線をくだり気味に南下し、ときおり小さなアップダウンをはさむ。稜線に出て三十分ぐらいで抜戸岩を通過。ここは大岩と大岩の隙間を抜ける面白い道である。そのあと稜線上のアップダウンをくりかえし、いよいよ山荘直下の登りとなる。左手にはまだ雪渓があった。
露岩帯のなかの苦しい登りである。なぜか岩の上にペンキで励まし文句?が書いてある。「ガンバ」に始まり「山荘スグソコ」「アト一息」「ガンバレ」と一定の間隔を置いて続く。視界のない中でこんな文句が続くのも苦しい。「あと100m」のペンキ書きを見て、ようやく目の前に笠ヶ岳山荘が見えた。14時35分ころ、濡れネズミ、急登の連続でフラフラの体の私は息も絶え絶えに山荘に転がり込んだ。山小屋にこんな状態で逃げ込んだのもあまり記憶がない。6時間も傘を持ちつづけた左肩が釘でも打ちこまれたように痛い。
濡れた衣服を乾燥室に釣るし、濡れ具合のひどくない着替えを身につけストーブの前にかじりつき小屋所蔵の漫画を読む。(笠ヶ岳山荘の漫画の充実具合は、山小屋では日本一ではないかと思う、特に週刊モーニング系が。)二時間かけて「ああ播磨灘」を一巻から読み、5時からの夕食。唐揚げとアジのフライが出たが味噌汁は不味かった。夕食後、小屋前のテラスに出たところ晴れ間が出ており、頂上部や穂高連峰が望めたので頂上をやってしまおうと思い、いそいで登山靴をはきストックを持って、露岩帯の登りをすいすいと行って、小屋から十三分ほどで笠ヶ岳頂上に到着。頂上は南北に細長く、北側に祠、南側に標識があった。登頂のポーズ決めっ!
穂高連峰の眺めがすばらしい。南岳から大キレットを経て北穂・涸沢・奥穂の3つのピーク、その右には西穂へ峻険な稜線が続く。飛騨側はまだ雲がかかり何も見えず、抜戸稜線の先も双六と思しきあたりまでしか見えない。眼下の小屋のテラスからは穂高連峰を写さんとする登山者のカメラのフラッシュがまたたいている。意気揚々と山荘へ戻り、また談話室で漫画を読んでまったりと過ごし、九時前に布団に入って寝た。悪天候の功名か、ふとん一つを占有できたのでそれなりに眠れた。
翌朝、朝食をすませ六時前からもどりにかかる。展望はまずまずであった。穂高は見えるが槍はなかなか姿を見せてくれないなと思いつつ稜線を進み、抜戸岩を通過して登り返しをこらえて稜線の分岐を通過。まずは杓子平へのえげつない下り。ほどなくなだらかな斜面の横切りになった。きのうは川のようだったが今日は水流の影もない。横切り終わって小尾根を乗越え、足場の悪い下りにかかる。斜めになっているスラブ(一枚岩)に足を置かねばならぬところでは緊張した。トラバースやジグザグ下りでは速度を上げて下ったが、七割がたは集中力を要するいやらしい下りであった。
昨日とは変わって日が射してきて暑さを感じる。高度を順当に削って2000を割るころ樹林帯に戻っても足場は悪いまま。すこしは柏原新道を見習えと悪態をつきながら、転ばぬように淡々と進む。ほどなく眼下の蒲田川が見えてきて、ジグザグの下りを経て、九時過ぎようやく登山口に戻ってきた。ここからは楽勝モードの林道歩きである。大股できりきりと歩いて、あっさりと新穂高温泉に戻りついた。アルペン浴場(通称タダ温泉)に漬かり汗を流す。
10時20分の松本行きの特急バスで新穂高をあとにした。バスは平湯温泉に停車したあと、安房トンネルを抜けて中の湯からは何度もバスで通った158号線を進む。沢渡、新島々と過ぎて松本市街に入り、正午過ぎに松本駅前へ戻ってきた。今回は鹿島槍のときに使った青春18切符が余っており、経費節減の意味合いもあって普通列車を乗り継いで帰京したが、どの列車もUターンラッシュの影響で混んでいた。帰途、まっすぐ自宅へ帰らず都内某所で90座達成のひとり祝宴を張った。ついに90まで来たぞフハハハハと思いながら私はエビピラフをほおばった。