山紹介及びもっとも楽な登り方:
大峰山脈は奈良・和歌山・三重の山奥に位置する深遠なる山脈である。派手さはないが何処までも続く山並み、奥秩父の関西版だが、その山域の広さたるやただものではない。山稜は幾重にもつらなりいくつもの谷を刻み、名もないピークは無数にある。吉野に近いため、修験道の場としても有名で、吉野から山上が岳を経て前鬼・熊野までは古来からの奥駆道としても知られている。山上が岳は女人禁制。最高峰は八経が岳。もっとも楽な登り方はマイカー利用で行者還トンネル西口から。難易度2プラス。
登山記録:2003年5月12日(月) 費用発生 31,132円(大台ケ原込み)
2230京王八王子=630阿部野橋635・・・748下市口820=915天川川合−1200行者還トンネル西口1220−1312奥駆分岐−1405聖宝宿跡−1450弥山小屋1500−1521八経が岳1525−1545弥山小屋1550−聖宝宿跡1622−1705奥駆分岐1715−1800行者還トンネル西口1818−1831トンネル東口−2038天ヶ瀬(野宿)
どこかへ行きたい。どこか遠い所へ。かいしゃのことなぞ忘れて逃避したい。最近の私は旅立ち依存症になっているのやも知れぬ。シュールな出来事があると、「明日は我が身、一歩間違えればオレがああなる」と思いこみ、将来のカタストロフィーに怯え蓄積されるフラスト。アルコール依存症や買い物依存症と類似してきているなと自分でも思うが、旅心抑えきれず、大峰山と大台ケ原を一泊二日で踏破するという、少々邪道で危険なプランを実行に移した。
日曜の朝、私は登山用リュックを背負って八王子に向かい、コインロッカーにリュックを押し込んだ。そのあと会社に向かい、いつものように仕事に追われる。資料を作ったり取引先にメールを送ったりして、夜9時半に会社を抜け出し、まずは松屋のチキン定食で腹ごしらえを済ませ、そのあと深夜営業のスーパーで6食分の食料を仕入れた。そして駅のコインロッカーにしまった荷物を取り出し、京王八王子のバスターミナルへ向かう。今日乗るのは大阪行きの夜行高速バス、「トレンディ号」である。
22時30分、高速バスは発車した。このバスには東海自然歩道がらみで2回乗ったことがある。寝心地はあまり良くないが、乗換えなしで阿部野橋まで行けるのが魅力である。バスは大和田の交叉点から、八王子バイパスに入り、八王子インターから中央道に入る。ここで車内が消灯される。夜行列車とちがって高速を疾走するので乗り心地はあまり良くない。が、小仏トンネル通過のあとは眠りに入ることが出来た。夜中にいくどか目を覚ましたもののそこそこ眠れて、いつのまにかバスは高速を降り、茨木市街に入った。JR茨木、阪急茨木に停車し、吹田からまた高速に入って、6時すこし過ぎになんばのバスターミナルに到着。大多数の客がここで降りる。
そのあとは大阪の街並みをバスは走り、6時半少し前に阿部野橋に着いた。JRの天王寺駅がすぐ横にあるが、近鉄駅の入口を探しキョロキョロする。おのぼりさんみたいで恥ずかしいが、はじめて未知の所に来た時しかこの感覚は味わえない。ほどなく近鉄地下駅の入り口を見付け、下市口駅までの切符を買う。そのあと6時35分発の急行吉野行きに乗る。近鉄急行はひた走り、古市、高田市に停車して、あっさりと橿原神宮前。ここからは単線になり、各駅に停まるので速度が落ちてのんびりと走る。駅ごとに中学生や高校生が乗って、だんだん山沿いに分け入って、7時48分頃、下市口に到着。
バスの時間まで間があったので駅前の雑貨屋に入りサンドウイッチを買い朝食にする。吉野に近いのでお土産コーナーは葛菓子が多い品揃えの店であった。そのあとトイレだが、駅前の便所はボットン式であった。ほどなく、奈良交通の洞川温泉行きのバスが入って来た。車体には鹿が描かれている。バスは天川方面へ険路を進み、長いトンネルをいくつも抜けて、一時間近く走って天川川合に着いた。街道が分岐する山間の小集落である。
さっさと歩きはじめる。きょうはおそろしく先が長い。あっさりと川合の集落を抜けて、川迫川ぞいに東へ進む。発電所の横を通り少し進むと、ミタライ渓谷への道を分けて、白倉谷の分岐を過ぎる。この先崩落のため通行止めの標示があった。車は駄目だろうが人間は大丈夫だろうと判断して前進する。そのあと弥山川分岐を過ぎて、川沿いの林道歩きが延々つづく。MDウォークマンを耳に入れて進むがあまり面白いとはいえない。きょうは曇りで、時折霧雨が落ちてくる不安定な天気である。
川迫ダムを過ぎ、細長い湖がまた川になって、河鹿の里キャンプ場を過ぎると、通行止めの標示とともに道が工事用フェンスで塞がれていた。工事中につき立ち入り厳禁の標示を無視してフェンスの横を無理矢理通り、進んで行くと落石現場に出た。ショベルカーが3台停まっていたが、歩いて通りぬける分に支障はなかった。そのあと神童子谷の分岐を分け、行者還岳への登山道を2本分けると、いよいよ道は傾斜を増し、布引谷をさかのぼって行く。ようやく、布引谷二俣で沢を離れ、山肌の高巻き道に入る。二俣の分岐には沢登りルートらしい赤テープが見うけられた。ここからの林道は落石がかなり目についた。
ほどなく枝尾根を乗り越え小坪谷に入り、なおも坂を登って標高1000mを越えると前方に滝が現れ、右手に登山道が現れ、行者還トンネル西口に出た。向かい側(天ヶ瀬方面)からは通れるらしく、何台か車が停まっていた。天川川合から14.7キロを三時間足らず、さすがに長かった。ここで助六寿しの昼食。デザート代わりにウイダーインゼリーを1つ吸っておく。着替えや予備の食料などの不要な荷物を茂みに隠し、そのあと山へ向かい歩き出す。沢を橋で渡ったあとはかなりの急斜面の取りつき道が続く。整備があまりされておらず、木の根や岩にすがってただただ高度をあげてゆく、苦しい道であった。急な斜面では雨でトレースが乱れており、思い思いに足跡があってもっとも楽なルートをさがすのに苦労する。
やっとの思いで稜線に出、大峰奥駆道に合流する。切り株がいくつか休憩所代わりにある。ここからはなだらかな斜面を登って行く。大登りでつかれたので休憩をひとつ入れ、なおも進んで行くと標高1600mの石休場跡。そして弁天の森をすぎると道はゆっくりと下りに転じる。オイオイとおもいつつゆるい下りを続け、ときどき現れる泥濘に辟易しながら進むと、青銅の修行者像が立つ聖宝宿跡。ここから道は急なのぼりに転じる。ジグザグの斜面をひと登りしたあと、木の階段が延々と続く。歩きやすいのだがそろそろスタミナがなくなってきたのか、何度も立ち止まり呼吸を整える。
標高1700をすぎるといったん風の強い稜線に出て、そのあと北側へ回りこんでまた階段の登り。1箇所だけなぜか鉄の階段があった。そこを過ぎなお木の階段を登って行くと弥山小屋の発電機のブーンという音が聞こえ出し、ほどなく弥山小屋に到着。午後3時少し前であった。ここに泊まれば行程はかなり楽なのだが、明日大台ケ原へ登ると言うプラン上の制約もあってここで打ち切りには出来ない。ベンチの上にザックを置き、水のペットボトルだけ持って八経が岳へ向かう。数分下った後。高山植物を鹿の食害から護るための鉄トビラを4回開け閉めすると、道は急な登りになり、どうにかそれをこらえると八経が岳頂上にたどりついた。1915m、近畿地方の最高峰である。私は満足して頂上の標柱にタッチした。何本もの木札があたりに奉納されている。
登頂のポーズ決めっ!さてあとは早々と退散するのみである。来し道を戻り、また鉄扉を4回くぐって、弥山への登り返しを耐えて、ほどなく弥山小屋に戻りザックを回収した。アラブ首長国連邦の水・マサフィーを飲んで一休み。そのあとゆっくりとくだりにかかる。木の階段をしずしずと下り、鉄の階段はラッタルの部分が細いので慎重に下り、ジグザグの下りを経て聖宝宿跡を通過。そこからはなだらかな登り。途中、弥山小屋泊まりらしい登山者の一団とすれちがう。
登りが終わり、弁天の森、石休場跡と通過して道は下りに転じ、午後5時過ぎにトンネル西口分岐に出た。ここでおにぎりの行動食。ここから急峻な山道を杖と足・腕を上手く使って下る。こういう道はドスドス下ると怪我しやすいので、足の置き所を定め、無駄のない能役者のような足さばき手さばき杖さばきで高度を下げていった。それでも何度かコケそうになりひやりとしたが、大過なくトンネルの西口に戻りついた。この後の行程はトンネルを抜けて天ヶ瀬に下りそこで野宿し、翌日バスを乗り継いで大台ケ原へむかうという破天荒な計画である。トンネル横の水場でスラックスの泥を落とし、運動靴に履き替える。さていよいよ全長1キロのトンネルを歩いて抜ける。ある意味今回最大の山場かもしれない。
行者還(ぎょうしゃがえり)トンネルは長さ約1キロ、一直線なので出口の光はかすかに見えているが、トンネルに入るやあたりが真暗になり、足元が覚束なくなったので懐中電灯をつける。こういうところは暗く、狭く、怖さを多少感じる。取引先に気の進まない電話をするのに似た、ある種突き上げてくる怖さである。私は気をまぎらわせるために、大声で歌を歌いながらトンネルを抜けることにした。
♪上野発の夜行列車降りた時から 青森駅は雪の中 北へ帰る人の群れは誰も無口で 海鳴りだけを聞いている・・・私もひとり、連絡船に乗り、こごえそうなカモメ見つめ泣いていました、 あぁああー、津軽海峡、冬景色ー
ごらんあれが竜飛岬北のはずれと、見知らぬひとが指を差す、息で曇る窓のガラスふいてみたけど はるかにかすみ見えるだけ さよならあなた 私は帰ります 風の音が胸を揺する泣けとばかりに ああぁあー、津軽海峡、冬景色ー (石川さゆり・津軽海峡冬景色)
トンネル内なのでものすごいエコーがかかる。まだ出口は全然先なのでもう1曲歌う。
♪うれしい歌 悲しい歌 たくさん聞いた中で 忘れられぬひとつの歌 それは仕事の歌アアアア、ヘイッ!この若者よ、ヘイッ!前と進め さあみんな前へ進め〜(以下、3番まで、ロシヤ民謡・仕事の歌)
このあたりでやっとトンネルの真ん中近くまできた。もう1曲歌う。
♪信濃なる 千曲の河の さざれ石も さざれ石も 君し踏みては 玉と拾はむ 君し踏みては 玉と拾はむ(万葉集より、信濃なる千曲の河の)
あんがいフルコーラスを完璧に諳んじている歌もないものだと思う。しかたがないので四曲目は知り合いの作った歌を口ずさむ。
♪ひとり 夜汽車の自由席 ふらり 旅立つきたぐにへ まど枠 凭れ 外の闇 ぼんやり見つめ物思う 夢破れ 恋破れ ああ それでもあんた愛しくて 鉛色 涙色 ああ 悲しみの日本海
姫川渡れば 糸魚川 荒波流れる朝ぼらけ 私の心は遠い空 遥かな波間揺れている 夢破れ 恋破れ ああ それでもあんた愛しくて 鉛色 涙色 ああ 悲しみの日本海 (林明彦・悲しみの日本海)
5曲目の某ゲームソングを口ずさんでいるうちにようやく、長いトンネルを抜けた。あとは天ヶ瀬まで適当にくだってゆけばよい。林道はカーブを切りながら山々を巻いて行き、下りに差しかかる所で闇があたりを包んだ。懐中電灯を照らして高度を下げ、午後8時半少し過ぎに天ヶ瀬の集落に着いた。村外れのせまい物置小屋を見付け、そこに入って体を横たえる。寒さであまり眠れなかった。
山紹介及びもっとも楽な登り方
日本でもっとも雨の降る山、大台ケ原。頂上部はなだらかな平原状の地形ですがその急峻さは大蛇倉あたりからうかがうことができます。もっとも楽な登り方はドライブウエイ駐車場から。難易度0。
行動記録: 2003年5月13日(火)大峰山から継続
814天ヶ瀬=828わさび谷1023=大台ケ原1120−1205日出が岳1250−1320正木峠−1348尾鷲辻−1414ダイジャグラー1445尾鷲辻−1520大台ケ原1615=1800大和上市1809・・・橿原神宮1855・・・大和八木1905・・・2101名古屋2125・・・2259新横浜・・・橋本2355
午前3時、眠るのを諦めてMDウォークマンを聞いて夜明けを待つ。午前5時、やっと夜明けがきたがバスの時刻までは3時間以上ある。午前6時、道端の石に腰掛けておにぎりの朝食のあと、時間つぶしに中村うさぎの文庫本を読む。幾度もねむけを感じ、文庫本を何回か地面に取り落とす。午前8時14分、ようやく空白の時間が埋まり杉の湯行きのバスに乗る。新伯母峯トンネルを抜けてワサビ谷着。ここで2時間近く大台ケ原行きのバスを待つ。なんて時間を無駄にしたゼイタクな旅行であろうか。
わさび谷は観光客向けの食堂が一軒あるだけの淋しい所であった。本を読みMDを聞いて2時間の空白を埋め、大台ケ原行きのバスがやってきた。こんなところで大台ケ原行きのバスに乗る人はあまりいなだろうから、私は左手を高く上げて乗車の意思表示をした。バスは伯母峯峠へ上がってからは大台ケ原へゆっくり高度を上げて行く。疲れからか私は眠りに落ちた。目が覚めたら大台ケ原の駐車場であった。バスを降りるとさすがに寒い。大台が原へ向かい石畳の道を進む。相手にとってまことに不足だが、疲れているのでゆっくり歩き、三叉路を左に折れて、木の階段をこらえて高度を上げ、一時間かからずにあっさりと日出が岳の頂上にたどりついた。頂上には2階建ての大展望台があった。はいOK。
帰りのバスの時間は16時15分発で、かなり間があったので、正木が原の枯れ木の斜面を見たり、牛石が原の神武天皇像やダイジャグラまで足を伸ばして岩場から眼前の絶景を見たりして大台ケ原観光を楽しんだ。三時半前にドライブウェイ駐車場にもどり、ビジターセンターの展示を見たり、上北山村の山菜土産コーナーなどを瞥見して時間をつぶした。