山紹介及び、もっとも楽な登り方
上高地の背景に聳える穂高連峰。槍ヶ岳と並んで、北アルプスの代表的な山岳。穂高岳は前穂高岳・北穂高岳・西穂高岳など、多くのピークを有するが、最高峰は白出コル近くに立つ奥穂高岳3190mである。富士山・南アルプス北岳に次いで日本第三位の高峰である。その日本離れしたアルペンティック、涸沢カールの景観は見るものを感動させる。もっとも楽な登り方は上高地から涸沢経由または重太郎新道(岳沢コース)経由。難易度4。
「登山記録」2002年7月29〜30日(月・火) 費用発生 27,850円
019立川・・・(急行アルプス)431松本442・・・505新島々520=630上高地BT652−725明神−800徳沢810−850横尾912−1000本谷橋1012−1140涸沢小屋1215−1315ザイテングラート取付1330−1436穂高岳山荘(泊)512−550奥穂高岳600−638穂高岳山荘650−800涸沢小屋815−900本谷橋910−948横尾1005−1042徳沢−1114明神1120−1153上高地BT1240=1350新島々1408・・・1438松本1442・・・特急あずさ64号・・・1708立川
世の中は世紀末。覚悟を決めて日々お城へ向かう。北岳バットレスより怖く緊張するストレス魔殿に身を置き、深い虚しさ悲しさを感じる事が多々ある。その昔聖徳太子が死ぬ間際に言った「世間虚仮・唯仏是真」の言葉もだんだんそうかも知れぬと思い始めている。もっとも神仏も人間の造りしものである。山岳修験道は、その厳しい自然に神が宿っているものと昔の人は信じて、山を崇め奉った。まあ山々の絶景は造物主の存在を感じさせるのであるが。
仕事疲れで刹那的な日々を送っていると、無性に山に、旅に行きたくなる時がある。CDでお気に入りの歌手が「諦めなければ 夢は必ず叶う」といったニュアンスの歌詞を聞いても、空々しく感じるようになってくると精神状態が危うい。まあそういう青い風が胸のドアを叩いているさなか、自然と、造物主と真っ向勝負。火の玉ファイヤーとなって大自然に挑みたいという欲求が出てきたのか、2連休を利用して奥穂高岳に挑もうと決心した。
実はこの山、昨年やろうとして失敗している。涸沢までは到達したのだが、ザイテングラートの取りつきが分からず、雪渓に迷い込んだ挙句滑り落ちてしまうといった間抜けをやってしまいそのまま涙を飲んで撤退したという苦い思い出がある。もっとも焼岳にしろ東海自然歩道華厳寺にしろ、失敗に終わったツアーはあまり間を置かずリベンジを果たしているから、なんとしても今年登頂しようと狙っていた。もっとも、相手は日本3位の高峰、奥穂高岳様であるから私のようなひ弱な人間が登るのは容易でない。奥穂の直下に穂高岳山荘という山小屋があるが、上高地からそこまでコースタイム8時間40分である。上高地街道3時間のあとは5時間40分の登り詰めである。それを夜行明けの本調子でない状態でこなさねばならぬのだから気が滅入る。いくら真っ向勝負とはいえ、若干の作戦と言うか悪知恵といったものはいくつか考えていた。内容についてはおいおい述べる。
ハイシーズンの増発の出ない日の急行アルプスは、八王子あたりから自由席におもむろに乗ったのでは、甲府までは座れないに決っている。というわけで私は珍しく前日に、指定券を取った。なんとしても睡眠時間を確保せねばならぬ。さて仕事がはねて旅立つ夜、私は入念にパッキングを行った。普段は山での食料計画なんぞ考えないのであるが、今回だけは相手が相手だけに慎重を期した。行動食のウイダーエネルギーインゼリー6袋、コンデンスミルクのチューブ、リポDなど結構揃えたのでザックは重くなってしまった。そしてモノレールで立川に出て、中央本線の下りホームで急行アルプスを待つ。
オレンジ色の国電を二本やり過ごし、けっこう年季の入った183系9両編成の急行アルプスが入って来た。指定された座席に腰を下ろす。八王子が過ぎた後は途中駅の停車に気がついていなかったのだから眠っていたのだろう。気がついたら上諏訪であった。前の座席が空いていたので、横になってもう一度まどろむ。目が覚めたら松本のすこし手前であった。欠伸をしつつ網棚の荷物を下ろし、松本電鉄のホームへ向かい、上高地までの往復割引切符を4600円で購入する。そのあと井の頭線の電車の使い古しの松本電鉄に乗り、新島々を目指す。途中駅を通過し、午前5時すこし過ぎに新島々着。駅舎は改築されていた。
上高地行きのバスは2台立てで、車内は補助席までギッチリ埋まっていた。車内で眠りこけ、気がついたら釜トンネルの入口であった。狭く長いトンネルを抜け、大正池の後ろから焼岳が出迎えてくれる。そのあとちょっと高原を走って、上高地バスターミナルに到着した。登山靴に履き替え、朝食トイレを済ませた後、いよいよ歩きはじめる。今回作戦を立てるに当たって、腐心したのが、「いかにザイテン(ザイテングラート)まで体力を温存させるか、」であった。いくら険しいと言っても、横尾まで3時間、涸沢まで3時間、小屋まで2時間30分あれば着くので、野球のピッチャーではないが、一時間ずつ(1回ずつ?)丁寧に歩いて10分程度の休憩をはさむことを原則とした。横尾までのコースタイム3時間10分は通称「上高地街道」と呼ばれている梓川沿いのダート林道歩きなので、ポータブルMDを持参し、意識を歩きから離しておくことを心がけた。
というわけで紀行文にあるまじき暴挙だが、MD1枚を聞いたら徳沢であった。景観の感想を述べよといわれても、音楽に没頭していたので分かりませんでしたと言う他ない。しいて言えば梓川の流れとバックの穂高連峰の対比はいつ見てもいいものです、といったところか。まあこれも作戦のうちなのであります。テントが立ち並ぶ徳沢で自販機のポカリ(200円)を飲み干す。そのあとMDを交換したあと、上高地街道を横尾へ前進する。頭では多少飛ばし過ぎカナと思っているが、速度は足任せ、これも旅である。
美しい梓川の流れや、趣のある樹林帯の景観には目もくれず、坂本真綾や小川美由希の歌を聞きながらオートマティックに上高地街道を前進する。我ながらヒキョウな手を使っているなと思うが、先発ピッチャーも立ち上がりが重要だと良く言われるではないか。ビジネス流に言えば「懸案事項にたいする対応策、ソリューション」なのである。こうしてノリノリで、あっけなく上高地街道を横尾まで歩ききった。ここで小休止。ウイダーインゼリーを1つ吸い込み、自販機のポカリ(250円)を飲み干す。
あまりにこの「インナートリップ戦法」が効を奏したので、まだMD1枚終わっていないこともあり、あまり急峻な箇所のない、コースタイム1時間先の本谷橋までこの戦法を使う事にする。横尾大橋を渡り、涸沢方面の道に入り、すれ違う登山者への挨拶は会釈で済ませ、1トラック27分かかるTWO=MIXのシングルメドレーを聞きながら、手に握りこぶしを作りながらガンガン進む。2回目のシングルメドレーが最後のヤマ場に差し掛かる頃、横尾谷にかかる本谷橋を渡った。渡り終えた所は登山道が河原のすぐ脇を通っており、流れをかたわらにしているため格好の休み場所となっており、20人ばかりの登山者が休憩している。小生もザックを下ろしウイダーインゼリーを一つ吸い込む。早くも野球で言えば4回を投げ終えたのだが、ここからが本番である。実質的に苦しいのぼりはここから始まる。
曲がりくねった高巻き道へのジグザグ登りをこなし、岩のごろついた道をユックリズムで登って行く。さすがに穂高で、多くの登山者とすれ違う。急な登りのあとは高まき道を徐々に高度を上げて行く。高度計の数値を見ながら、1700、徳川綱吉が生類憐れみの令を出したなとか、1820、天保の改革が失敗したなという風に、高度を年代に置き換えて日本史連想ゲームを頭の中で繰り広げる。1850、ペリーが浦賀に来航して江戸幕府がぶっつぶれた後、登りがだんだんきつくなってきて、あっという間に1905、日露戦争が勃発し、頭の中で日露戦争の本の事なぞ反芻しているうちに森林帯の登りが尽きて、1930、世界恐慌から15年戦争、のぼりがけっこう険しく、グングン高度を稼ぎいつのまにか戦争が終わり1955、日ソ共同宣言、1985、あっというまに現代へ、そして高度2000を越えて、連想ゲームが終わる頃、雪解け水の流れが右手に現れた所で、本谷橋から1時間経過。休むべきなのだが、涸沢は近いと判断し強引に進む。
雪渓を横断したあと、ほどなく道は石畳のような形状となり、そのあと涸沢小屋への分岐に出た、わざわざ涸沢ヒュッテを回るよりはこっちが近いと判断し、低木帯の中を登り続けると、ひょっこりとテント村の末端に出た。涸沢カールである。ここからの穂高連峰の眺めは圧巻なのであるが、目の前の涸沢小屋が見えているのになかなかなかなか辿りつけないもどかしさ。ようやく、北穂ルート分岐を分けて、涸沢小屋にたどりついた。涸沢小屋は宿泊施設の他、小さいながら売店食堂もあって休めるようになっている。小屋の前の水槽にはトマトが浮かんでおり「1つ300円」のプライスがついていた。
ほうほうのていで涸沢に辿りついて体が熱いので、つい「ソフトクリーム1つ下さい」と言ってしまう。500円と今思うと高いが、高いという気がしなかった。これほど美味いソフトを食べた事はない。冷気が舌先を通じて体内へ浸透してゆく。全身で冷たさを堪能する。食べ終えて、あー、満足ぅ、と一息つく。極楽極楽。そのあとコンビニ弁当の昼食。デザート代わりにウイダーインゼリーを1袋吸い込む。このあとはコースタイム2時間30分、野球で言えば七回八回九回、サスペンスとスリルある区間である。
小屋の前を通り、低木帯を通りぬけほどなく岩のごろついた急なのぼりが始まる。歩きはじめてすでに5時間が経過し、そこそこ疲れている上でのこの急なのぼりはこたえる。野球で言えば七回、全盛時の横浜ベイスターズなら島田が出てくるところだなとおもいつつ頭の中で「さあさ出番だ まかせた島田 内に秘めたる 情熱を投げこめ」という島田投手のテーマを反芻する。岩とハイマツにつかまりながらの急なのぼりに耐え、また石畳っぽい道を登り、彼沢ヒュッテからのパノラマコースと合流する。そこからは山腹をトラバース気味に斜め上へ向かい登って行く。胸に手を当てて心臓の鼓動が荒れてきたらペースを落とし、慎重に歩く。高所なので息が乱れてきた。
スウハア、スウハア言いながら登りつづけ、すれ違う登山者への挨拶も「こんにちわ−」が「ちわー」になり、ついには「わー」のみに簡略化され、本当に苦しくなってくると呼吸維持で手一杯なので、挨拶が返せないため会釈ですませる。そうこうしているうちに雪渓の末端を岩伝いに渡り、いよいよザイテングラートの末端を横切り、ザイテンに取りつく。ここで涸沢から1時間が経過したので休憩する。ここが勝負所と見て、ウイダーインゼリーを2つ吸い込み、コンデンスミルクのチューブも半分くらい吸っておく。後に残ったべったりした甘味を生茶で流し、一息つく。
ザイテンは白出コルから、涸沢方面へ向かって連なる、ゴジラの背のような岩尾根であり、登山道はこのザイテンにすがり付きからみ付きながら上へ向かっている。後から思えばザイテンは難しい箇所はないが、急なのぼりがガンガン続くため、それまでの消耗度合いによっては難儀する所である。野球で言えば八回、全盛期の横浜ベイスターズなら五十嵐が出てくるところだなと思いつつ頭の中で「投げこむ球が張り上げる ミットの音ですぐ分かる 勝利だ五十嵐 奪え 三振」という五十嵐投手のテーマが流れる。

【写真】これがザイテングラート、真ん中の斜め右上へと走るゴツゴツがそれです。
ザイテンの登りは難行苦行の連続であった。岩尾根をただ白ペンキのコースサインの丸印や矢印にしたがってただただルートどうりに高度を上げて行く苦しい道である。スウハアスウハアいいながら、岩と取っ組み合いでもするかのようにガンガン高度を稼いで行く。前穂からの稜線や眼下の涸沢カールなど風景は絶佳なのだがそんなものを見ている余裕はなかった。またザイテングラートという名前にびびっていたせいもあるが、精神的にもきつい道であった。そんななか1箇所だけではあるがクサリや梯子まで現れたのでうんざりしてきた。だがここまで来たら当方も意地である。
私はあきらめない。私はあきらめない。私はあきらめない。
頭の中で呪文のように繰り返し、夢であり憧れである穂高へ向かって、ザイテンの岩の要塞を、一塁一塁と歩を進めて行く。前へ、高く、ザイテンの岩場と真っ向勝負。苦しくなったらその場で立ち止まり呼吸を整え、また岩山へ挑戦する。午後2時を過ぎ、高山の常であるが上の方からガスが出てきた。登りつづける登山者達に道を譲ったり譲られたりする。あまりの苦しさに涙がにじみそうになる頃、穂高岳山荘のものらしい荷物運搬用のケーブルらしきものが見え、次いで穂高岳山荘の建物が視界に入った。
「見えた!」
私は思わず声を発し、そこから一歩一歩慎重に進んで行く。ほどなく岩間の道は終わり、小屋へ向かってガラガラの急登を詰めて、ようやっと石を敷き詰めたテラスのある穂高岳山荘に辿りついた。北は涸沢岳、南は奥穂高岳へ急峻な道がのびている。時刻は午後2時36分であった。
一泊二食8500円の宿泊手続きをすませ、指示された2階「立山の間」に入り体を休める。登山者と談笑しているうちに5時半の食事になった。夕食の膳はごはんと薄い味噌汁、高野豆腐、焼肉その他であった。例によって睡眠薬代わりにビールを1缶(580円)空けて、いい気分になり、そのまま2階に上がり眠りにかかる。7月末の月曜日、そんなに混んでいないらしく、1つの布団を使う事が出来た。睡眠薬代わりのビールと頭痛薬が効いたのか、一度トイレで目を覚ましたのみで、5時前までそれなりに眠る事が出来た。
トイレの後5時からの朝食。ごはん、味噌汁、生卵など。そのあと、5時12分、自らを奮い立たせて、小屋に荷物を預け、奥穂高岳へラスト50分の登りである。いきなりクサリやハシゴが現れ緊張するが、危ないのは小屋を出て最初の部分のみで、あとは岩峰をトラバース気味に登って行く道であった。ザクザクザクと慎重に登って行き、ニ十分が経過する頃、奥穂の頂上部がついに見え、あとはそこまで焦らずに高度を上げて行けば良かった。西穂からの道を合わせると、奥穂の頂上はすぐ目の前である。小屋から38分、ついに私は奥穂高岳の頂上にタッチした。頂上には小さな社と、大方位盤があった。登頂のポーズ・決めっ!
さすがに展望は抜群。南は近くにジャンダルムやロバの耳、秀麗な焼岳、優美な乗鞍岳、奥には御岳、遠景には中央アルプス・南アルプス、そして富士山。西は笠が岳が優美に稜線を伸ばし、その奥には三俣蓮華や黒部五郎、鷲羽岳といった黒部源流域の山々が重畳とつらなっている。遠くには白山も見える。北は穂高連峰の奥に槍ヶ岳が天に向かい尖っている。そしてその東には燕岳、大天井岳、そして常念岳、均整の取れたその三角錐の山体が美しい。遠くに見えるのは八ヶ岳と奥秩父か。
写真を撮りつつ十分ほど絶景に見入って、午前6時に早くももどりにかかる。帰りは笠が岳や黒部源流域の山々に見入りながら下ったり、登って来る登山者に道をゆずりながら歩いた事もあって、登りとほぼ同じ時間をかけて小屋に到着した。荷物を回収し、最後のウイダーインゼリーを吸い込み、ザイテンの下りにかかる。昨日良く眠れた事もあり、足取り軽くザイテンの岩の間を下って行き、四十分足らずでザイテンを下りきった。そのあと斜めのトラバース下りを過ぎ、岩のゴロついた急な下りを焦らず、腕に覚えの「キャラメル下り」で淡々と下り、小屋から1時間10分で涸沢小屋に到着した。ポカリの500mlペット(350円)を飲み干す。
本谷橋まで下れば実質的に勝負は終わりである。と言う事で後先考えないガツガツ下りを行った。足取りも快調で、ホイホイと石畳をステップを切って歩き、雪渓を渡って樹林帯に入り、高度を快調に削り取って行く。涸沢からわすか45分で本谷橋まで下りきった。一息ついた後、横尾へ淡々と歩く。すこし下り気味なので足も良く前に出る。20分で川のほとりの岩小屋に出て、あとは林の中の平坦な道を進んで、横尾大橋で梓川を渡り、ようやく横尾に帰ってきた。ここでパンの第二朝食。
往路と同じようにポータブルMDを耳にはめ、今度はクラシック音楽をききながら上高地街道を前進する。横尾から37分で徳沢、ここは通過して上高地街道を猛進する。1箇所枝沢を高巻くためちょっとのアップダウンがある。コレルリやヴィヴァルディを聞きながら、どうにかこうにか1時間9分で明神到着。ちょっと休んでMDを「とっておきの」久川綾さんにとりかえた後、最後の力を振り絞って前進前進。右に梓川、朝登った穂高。上高地バスターミナルめざし猛然と歩く。ほどなく小梨平のテント場、河童橋と通り、観光客と登山客でごった返す上高地バスターミナルに転がり込んだ。新島々までの次のバスの整理券を取った後、バスターミナルのベンチに座りこんだ。
やっと終わった・・・・
12時40分発の新島々行きのバスに乗る。大正池では焼岳が見送ってくれる。釜トンネルを抜けたあと、バスはトンネルの連続する158号線を下って行く。山行きの疲れから、私は車中でうとうととまどろんでいた。