第50区 養老→新丁

2003年4月29日(火・祝)  所要時間11時間20分 費用発生19,400円

110小田原・・・555大垣・・・養老640−養老公園650−千体仏730−801竜泉寺跡−828桜井白鳥神社840−916西沢田−1015上石津平井−1040関ヶ原町平井−1105松尾山1110−1136不破の関−1206エコミュージアム1218−1310丸山のろし場1315−1345伊富岐神社−1452梅谷1510−1615円興寺−1710霞間ヶ渓公園−1820新丁1854=揖斐1921・・・大垣1948・・・名古屋2023・・・2159新横浜

 仕事上でいろいろあって刹那的気分になっているためか、旅に出る頻度が高くなっているような気がする。上の人の査問を思いもかけぬ方向から受けたり、時々訪れる衝撃的なできごと等で目の前が一瞬クラッとする事がある。女の子の笑顔でクラッとするのならともかく、仕事上のことでクラッときてしまうのは最悪である。昼休み、休憩室でFやM課長にマイナスの言葉を吐き続ける弱くて小さな自分がいやになるから、旅に出るのであろうか。そういう弱くて小さな私もカイシャインになって5年が経過し(長かった)、いいかげん若手のカテゴリに入らなくなってきている。とかく笑顔がないよとM課長あたりに云われるのだが、樫の木の棍棒で打たれても、イギリス人が水や火を使ってきても、顔の表面だけでも笑っていられるのもひとつの強さなのだろうか。

月曜の夜、仕事疲れを抱えて自宅へ戻り、このまま寝てしまいたいという気持ちを振り払って旅支度をして、いつものように多摩モノレールに乗って、多摩センター駅の券売機に720円を放りこんで、旅に出る。町田で座る事が出来、小田急線の車内で一眠りすると新松田であった。ここから小田原の近郊の開成、富水、蛍田と停車して行き、足柄の車両基地を横目で見て小田原に着いた。ここで夜行に乗換える。今回はムーンライトながらではなく連休期間中に増発される臨時夜行である。いまは青春18切符のシーズンではないので1ボックス占領できるだろう。

夜行列車は急行型車両ではなく、湘南電車によくある静岡電車区の近郊型3つドア車両の8両編成であった。ボックスを占領して、夜食のソースカツ丼を食べた後、夜行列車の揺籃に身を任せる。熱海から丹那トンネルを抜け、三島沼津の停車までは起きていたが、そこから先は大府まで何も覚えていない。大府から先も断続的にウトウトし、気がついたら大垣の手前であった。定刻5時55分、大垣着。ここで近鉄に乗換える。

田園地帯を電車は走り、6時40分に養老に到着。まずは前回打ちきった養老公園への坂道を上がって行き、養老の滝へ向かい上がって行く。妙見橋で対岸に渡り、若返りの泉はポリタンク持参の観光客が多かったので素通りし、代わりに自販機で爽健美茶を買い、旅館の横を通ってほどなく山道に入る。前回仮設歩道を通らされた砂防ダムは上流まで行って河原に下りて流れを横切って、そのあと林道を下って、また山道に入ってすこし歩くと柏尾寺、そのあとすぐに千体仏。千体近い地蔵仏が集積している妙なところである。

さらに進んで勢至への下り道を分け、フェンスで仕切られた道を進むと、竜泉寺あとへのすこし長いのぼりをしのいで道は下りに転じ、集落に下りて上方白鳥神社。すこし歩いて山道に入り、ほどなく桜井白鳥神社。涌き水を飲んで一息つく。ここでソースカツ丼の朝食。往路ではアップダウンの連続に辟易した区間だが、きょうは朝一に持ってきたのでそれほどしんどいと感じなかった。そのあと、西沢田へ向けて歩き、養老山地特有の涸れ谷を何回か渡って、集落を横切り墓地の横を過ぎて、ほどなく西沢田のバス停に出た。自販機でダカラを買う。悪いことに日が射してきた。

大型トラックが通り過ぎる道を進み、広瀬橋を渡ってからは退屈な土手歩きが延々と続く。野球場の少年野球のアナウンスを聞きながらひたすら歩く。ようやく藤古川橋で土手歩きは終わり、そのあとは関ヶ原町への県道歩きが長い。上石津平井の集落からいったん山道に入り、すぐに車道に戻る。ほどなく関ヶ原町の平井集落に入り、製材所横の分岐から山道に入って登って行き、大きいカーブを経て階段状のみちにとりつく。ちょっとシンドイ道をのぼってゆくと、案外あっさり松尾山頂上のトイレが見え、次いで小早川氏の家紋マークの入った幟の立つ松尾山(日和見陣地)に着いた。

ちょっと休憩したあと、関ヶ原へ向かい足軽隊よろしくワーと急降下する。ちょっと下って尾根上のアップダウンをしのいでダートの林道に出て、大きいカーブを切りながら下って行くと登山口に出て、なおも北に進んで名神高速、東海道新幹線の下をくぐって坂道をちょっと登り、不破の関に到達。壬申の乱古戦場を過ぎ、坂を上がると国道を横切り中仙道を西に逆行し大谷吉継の墓分岐を分けて右に折れる。東海道線の古びた煉瓦づくりのトンネルの下をくぐり、城山へ向かってゆっくり登って行き、城山頂上への分岐を分けると道は下りに転じ、耕地に出てエコミュージアム方面へ歩く。きょうは伊吹山は霞んでいて見えなかった。

エコミュージアムで休憩をかねて見学し、おにぎり3個の昼食をすませ、そのあと東へ進んで行く。このあたりは01年往路、01年11月のネット仲間の集まりに続いて三度目なのでもう迷う事はない、さくさくとウォーランド、笹尾山、決戦地と歩みを進める。祝日なので石田三成陣地の笹尾山は観光客が数人いた。日が差してつらいので、決戦地横のローソンで麦茶とウイダーインゼリーを買う。麦茶をちびちび飲みつつバードウォッチング小屋を経て丸山に登り、のろし場の跡を通り過ぎる。これで関ヶ原エリアを歩き終えた。きょうは鍋倉山に近い粕川ぞいの新丁までよくばって歩く予定なので先はまだまだ長い。

田園地帯を歩いて垂井町に入り、伊富岐神社よこを通過し、東海道線の垂井迂回新線の上を陸橋でまたぐ。単線だがこの線路、西行き専用でありしかも垂井に寄る必要のない特急・急行・貨物列車しか通らない。もともとは戦時中の輸送力増強のために突貫工事でつくった線区である。岩手の踏切を過ぎて大滝集落からちょっと坂を下って藤森、梅谷と集落を過ぎて行く。梅谷のベンチで休憩。そろそろ疲れが出てきた。県道の下をくぐり、山道をすこし歩くと林道に出て、平尾池の横を通る。祝日なので釣り人やボート遊びを楽しむ人がいた。

そのあと田圃の畦道を経て、線路の下をくぐり大垣市歴史博物館、美濃国分寺跡と過ぎて再度線路の下をくぐって金生山の荒れた山肌を見ながら進むと円興寺。すでに午後4時を回っていた。なおも前進し、小道から県道に出て、トンネルの南口から山道に入って50mばかり高度をあげて峠を越えて、こんどはちょっと急な下り。ここをこらえてトンネルの北側に出て、ま新しい県道を北進すると池田温泉。駐車場は車で一杯であり、池田温泉の建物は増築されていた。ここからは山裾の道を北上する。MDウォークマンの音楽を聴きながら、疲れた身体を叱咤して前進。右手には濃尾平野が一望でき、茶畑が並ぶのどかなところである。

多少登り気味の車道を進み、霞間ヶ渓公園。ここのさくらは素晴らしく、往路に来た時は感動すら覚えたものだったが四月末では散ってしまって影も形もない。あと2週間早ければなあと慨嘆しながら北上を続ける。製茶工場からただようお茶の香りが何ともいえない。ほどなく大津谷公園を過ぎて、北上を続けると「魔のカーブ」の標示がある。下り坂の直後に左への急カーブがある。スピードの出し過ぎで事故を起こす所なのだろうか。料亭と電気屋の横を通り、ゴムシート工場の横を通ると、ようやく目の前に粕川が出てきた。

蘇生の泉を瞥見しつつ西へ歩き、瑞岩寺橋を渡って、新丁のバス停には18時20分にたどりついた。11時間30分も歩いたので身体がズタズタである。粕川の土手に腰を下ろし登山靴を脱ぐ。バスを待っているうちに日が暮れた。西美濃の山間を急速に闇が包む。波立つ粕川の流れをぼんやり見つめながら私はバスを待った。

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