第48区 湯の山温泉→西藤原

2003年4月8日(火) 所要時間 7時間40分 費用発生5,500円

106小田原・・・605名古屋611・・・四日市656・・・近鉄湯の山744=三交湯の山755−希望荘855−朝明川955−1045尾高観音−1130切畑−1237水晶橋1255−1400黄金橋−1445東藤原−1535西藤原1611・・・富田・・・1727名古屋1735・・・豊橋・・・浜松・・・静岡・・・三島2115・・・熱海・・・茅ヶ崎2247・・・橋本

大学2年の時だったと思うが、経済原論の講義を聴いていたとき、

「落合(落合博満:プロ野球選手)はなぜ4億も貰えると思う?」と教授が切り出した。

答えは「代わりがいないからです。落合ほどの働きが出来る人(野球選手)は世界中でもそうそう居ないからです」とのことであった。経済学でいう「代替性」を説明するために身近な例を持ち出したのであろうが、今の時代、今の外部環境においては、この言葉が思い出されてならぬ。

 世界的経済競争が加速する中、自らの労働以外に売るもののないサラリーマンも、選別と競争にさらされていくのであって、かかる環境の中、自らのバリュウを測るものさしとして、「今の私のポジションは余人をもって替えられるか」という思考を常にすべきなのであろう。しかしながら、よほどの専門職が高度の知識経験を要するポジションでもない限り、「余人をもって替えられない」仕事なぞないのである、が、パラドクシカルな見方として、「もし今私が倒れたら、私のポジションを埋めるのに会社はどれだけのコストと時間を要するか」と考える事により、自らのバリュウを意識し続けることは可能であろう。もっとも代替性の論理で考え過ぎると自分以外の人間はすべて敵だという偏頗的な思考に行きつきかねないのであって、あくまで自分は集団のなかの一員であり、集団でマンモスを倒して日々の糧を得るグループの落伍者にならないように心がけ日々修練を怠らないようにしよう、というのが穏当な考えだろう。

 貧乏暇なしではあるが思索はどこでも出来てしまう。電車の中、食事中などにかかるつまらない考え過ぎの虫がわいてきて、案外それから逃れ逃れるために、私は夜行列車で旅に出ているのかもしれない。今回も良くわからない前置きで恐縮だが、青春18きっぷの使用期間が10日で切れてしまうので、もう1区間伸ばしておきたいという思いがあって、月曜の夜私は疲れた体を引きずって多摩センターの券売機に720円を放りこんだ。

ムーンライトながらは混んでいたが、10分前に並んだこともあって辛うじて座る事が出来た。仕事疲れがそうとう来ているのか、熱海の手前から金山までは何も覚えていない。名古屋市の中心部に入り、尾頭橋を通過すると名古屋はすぐである。名古屋で近鉄乗り場へ急ぎ足で向かい、6時11分発の急行鳥羽行きに乗換え、車中でしばしまどろむと早くも富田であった。つぎの停車駅の四日市で湯の山行きに乗換え、終点の湯の山駅で三重交通のバスに乗り換える。悪いことに雨が落ちてきた。

 きょうの目的は三岐鉄道の東藤原か西藤原までのつもりである。表編では東藤原から湯の山までを2年前に7時間7分で歩いた実績があるのでさほど苦しまないだろうと思っていたが、終点でバスを降りるやいなや雨粒が小生の身体に当たった。やれやれとカッパを着て、着替えが濡れぬようザックカバーをして歩き始めた。意気が上がらぬまま雨の温泉街を進み、大石公園の所を右折し山の中へ入って行く。ちょっと登ってロープウエイの下をくぐり、道が下りに転ずると蒼滝。滝の横幅が広く、流れが幾筋にも分かれて落ちておりそのぶん雄大さを感じる。そのあと渓流沿いに下って、林道に出てすぐに左折し、希望荘方面への山道に分け入って行く。ここの登り下りは急斜面が多く閉口するが、歩き始めで余力のある時だったのでそれほど苦しいとは感じなかった。

スカイラインの下をくぐり、希望荘の脇を過ぎておおるり橋を渡り、再び山道に入り風越峠を目指す。沢沿いの道を滑らぬよう慎重に登り、丸太階段の登りをこなして、高度計の数字が500を越えるとようやく峠を越えて反対側の斜面の下りにかかる。山腹をくだり、なわだるみ堰堤を瞥見しながら谷沿いを下り、あっさりと朝明川に出た。やや水かさの増した朝明川を堰堤伝いに横切り、対岸の斜面を登って道路に出た。ここで右折し、下流方向へ1キロほど進む。雨脚は弱まったが風が出てきて濡れた小生を冷やすので寒さを覚えた。

グリーンランドあさけの自販機でミルクティーを買い、シャツの下に缶をあてがい湯たんぽ代わりにする。三重県民の森の中を左カーブを切りつつ進み、車道を登ったあと道標に導かれ山道に入り、すぐに下りに転じてべつの車道に出て、尾高観音へ進んで行く。観音堂の所を右折し、おごそかな雰囲気の漂う背の高い杉並木参道を抜けると、尾高観音前の遊歩道に出た。車道のまんなかに遊歩道のある不思議なところである。しばらくその道を進むと、道標に従い道は脇へ折れる。酒の通函や空瓶が積み上げられた脇の小道を辿る。曲がり角のたびに道標が現れ、それに従いながら先へ進んで行く。何回も曲ると、何処をどう引きまわされているのかわからなくなってくる。

いつのまにか道がダートになり、ゆるい登り道となってきた。冷たい雨は降ったりやんだりを繰り返しているが、もはや見事なまでにずぶ濡れ状態なのであまり気にならない。ダート道を進むと、八風の大石の横を通り、ほどなく切畑の集落に出た。八風街道と分かれ、農道から山道へと分け入って行く。ゆるい上り坂がダラダラと続き、うんざりする頃、福王神社の分岐を分けたが、そこからも登りは長く続いた。雨の中、一時間近く登り続けると、八風牧場跡の広い道に出て、そのあと道は下りに転じて、滑らぬよう慎重に下って行くと沢を渡り、すこし進むと水晶キャンプ場横の吊橋に出た。

キャンプ場管理棟の軒下でおにぎりの昼食。いったん動きが止まると格段に寒くなるので、早々とおにぎりを平らげ、アラブ首長国連邦の水「マサフィー」で喉をうるおす。ヤレヤレと歩みを再開し、ほどなく国道に出て、国民宿舎登竜荘の横を通過する。そのあとは国道沿いの山道をすこし下り、落合橋で再び国道歩きとなる。雨に打たれながらアスファルト道を歩き、国道が左に折れて宇賀川と別れ、山道に入るポイントを見逃したかと疑心暗鬼に囚われるくらい延々と下り、ほどなく道標に導かれて国道を離脱し、山道に入り低い峠を越える。

 ほどなく北山の農地に出て、畦道や農道を道標通りに歩いていき、黄金橋で青川を渡ると新町の集落を突っ切り茶畑の中の林道を直進する。道は杉林に入り、伊勢治田への分岐をすぎると電線工場の脇を通り、三叉路を右折すると目の前に三岐鉄道の線路が見えた。ここからは道順はだいたい覚えている。畑の中の道を迂回気味に歩いて、東藤原の街並みに入ったかと思うといったん員弁川へ下り、小さな橋で対岸に渡ってセメント工場のハイパーシェイク攪拌装置を瞥見する。いつのまにか雨は止んでいた。

ふたたび前川橋で員弁川を渡り返し、石神社の脇を通り舗装路を延々歩いて行く。このあたりは道標の抜けがあったりして油断ならないのだが、西野尻の兵士像でコースを確認し、そこからは集落内の小道が続く。藤原町の標識通りに淡々と歩くと、割合あっさり西藤原の駅前に出た。東海自然歩道のコースが駅舎のすぐ真ん前を通っているというのはあまりない。2年前に来た時はいかにもローカル私鉄の終着駅といった佇まいだったが、駅舎はSLを模したものに建てかえられており、構内にはなぜか豆列車の軌道まであって日曜に運転します旨の案内がある。

 名古屋までの切符を買い、ホームで濡れたものを着替えたあと、16時11分発の富田行きに乗る。車中で一眠りして富田で近鉄に乗換え、急行で名古屋をめざす。停車駅は桑名弥富蟹江のみなのであっさりと名古屋着。駅売店で気になっていた伊勢銘菓「赤福」を買ったあと、普通列車を乗り継いで東京へのもどりにかかる。夕食は三島駅のエビの大きい天ぷらうどんで済ませた。

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