2003年3月31日(月) 所要時間:8時間25分 費用発生 5,300円
106小田原・・・豊橋・・・522名古屋555・・・705亀山745=810伊勢坂下−840鈴鹿峠845−945山女原−1000安楽越−1045石水渓−1122野登山分岐1140−1145メモリアルパーク−1240桃林寺−1300椿大神社−1435近鉄湯の山分岐−1503雲母高原1520−1635湯の山温泉1644=近鉄湯の山1656・・・四日市・・・名古屋1820・・・浜松1940・・・静岡・・・小田原2235・・・多摩センター022
その昔、律令制の古代では、租・調・庸などの重い税負担に苦しんだ一般農民は国から与えられた口分田をすてて浮浪・逃亡に走るものも多かったという。だが今や高度にシステム化された世の中、飼い猫でそれなりの永きに亘りエサを与えられていた猫がいきなり野良となり自分でエサをとって来いというのは無理な話である。システムへの憎悪はあるが、それ以上にある種の諦観が私を支配しているのかもしれない。自分でも出来が悪いと思っているアウトプットを出したり、危ない橋を渡ったり一点突破を図るたびに弱気の虫がわいてきて、聖武天皇のことばを借りれば「やむ事能わず」の心境になり、旅に出るのかなと思う。
唯物論と観念論が交叉し、オプティミズムとペシミズムが交互に去来し、かといって人間自分が一番かわいいから、ヤケノヤンパチには踏みきれない。人間身の丈を忘れては行けないのであって、私はそれなりの寝る所があって、ときどき山に登れて、ときどきマグロの刺身が食べられれば他に何もいらないと思ってはいる。だが、昨今、メガコンペティションの席捲は社会階層の非平等化、二極化へと収斂していくものと思われ、いまの世の中、個人も企業も強い者だけが生き残れるのだと言う思想が浸透するに至り、弱くて小さい私は前述の要件を維持できるのかどうか自分でも疑わしいと思っている。こころ乱れて、頭の中で喧喧諤諤の議論や乱闘騒ぎを繰返しているうちに、会社員になって5年が経過した。
何か今回前置きが支離滅裂だがそれはさておき、前週花粉と寝不足の前に思うように前進できなかったので今回更なる猛進を図るべく、いつものように小田急の券売機に720円を放りこみ、小田原駅へ向かった。小田原駅は新駅舎が完成していた。従来は地下道だったが、立派な橋上駅舎に生まれ変わっていた。いつもの1時6分発の「ムーンライトながら」の列に並ぶ。座れる可能性の高い9号車名古屋行きの列に並びじっと待つ。深夜の小田原駅の構内を貨物列車が轟音をあげながら通過して行く。1時過ぎ、定刻どうりムーンライトながらが小田原駅のホームに入線してきた。自動扉のドアがガラと空き、数少ない空席をめぐって席取りバトルが展開される。ここで座れるのとそうでないのは大違いなので真剣に空席を探し、餌にありついた野良猫のようにやたっ、と席を確保する。品がないが、世の中の本質もイス取りゲームと似た面があるのだろう。
花粉症薬の効果か、豊橋までは何回か目をさましたもののそこそこ眠れた。ここで先行する救済臨に乗り換える。167系急行型電車8両編成の車内は18切符利用と思われる若者で通路デッキまでいっぱいの盛況であった。こちらの方が大垣着が定期のながらより1時間早いので、関西・山陽方面へ行くのにはこちらのほうが便利なのであろう。デッキにうずくまりながら名古屋までをじっと耐える。刈谷を通過して尾張国に入り、大府笠寺を過ぎ右から名鉄が寄り添ってきて金山を通過。名古屋市内に入り尾頭橋を通過。5時20分、名古屋着。関西線の車内ではまた眠りこけ、亀山着7時5分。
靴を履き替えスポーツ紙に目を通したあと、7時45分発の伊勢坂下行きバスに乗る。バスは国道1号を進み、関をすぎると山の中に入り、沓掛から旧道に入り、坂下の集落には8時過ぎに到着した。さあ行くぞ湯の山温泉まで、とふるい立った。まずは昔の面影をわずかに残す坂下の旧東海道を進み、国道1号の側道をはなれ片山神社前を右折し、坂道を登って行き、高架橋のしたをくぐり、馬の水のみ場など瞥見しながらなおも山道を登って行くと、茶畑に出た。ここが鈴鹿峠である。自然歩道は右側の山に取り付く。
ここは往路で苦しんだ所だが、階段状の登りを淡々と過ぎると、それほど苦もなく三つ子山の分岐に出た。ここで左折し、今度は山腹を思いきり下って行く。階段をエイエイと下り、斜面を下りきって林道に出た。しばらくはダートの林道を山女原へ向かい進んで行く。ほどなく車道に出て、山女原の集落に出た。ここから安楽越までは1.5kmであるが、東海自然歩道はカモシカ高原を迂回しているため、3.7kmのコースとなる。ずる賢い小生は当然前者を選んだ。林道のゆるいのぼりを経て、10時ころ安楽越を通過した。
そこからはつまらない山腹のアスファルト下り。MDウォークマンを耳にはめて、KOTOKOを聴きながらノリノリで時速6kmフラットで下り、ほどなく右手が水量の乏しい渓谷になり、キャンプ場やバンガローなどが出てきて、石水渓を通過。ここで眼前に第二名神の橋脚が現れた。2年前に来た時は橋脚がズンズンと突っ立っていたのみだったが今回は橋げたの工事が進められており、ゆっくりとではあるが、工事は進捗しているようだ。仙が岳入口バス停のところで左折し、ゆっくり林道を登って行き、坂本の集落を横切って行く。スギ花粉で鼻の奥がむずむずしてきた。
さらに車道を進み、歩きはじめて3時間経過し腹も減ったので、峠にある野登寺の分岐で休憩。通常はコンビニ弁当やおにぎりを主食にしているが、今回はコストダウンの意味合いもあって前夜マクドナルドでハンバーガー12個を買っておいた。3個は関西線の車中で朝飯としたのでまだ9個残っている。ハンバーガーは時間経過とともに美味しくなくなるといわれるが、バンズとミートパティ、ケチャップが良くなじんでおり、そこそこうまいと感じる。ハンバーガー3個をぱくつき、お気に入りのシャンピンウーロン茶で喉をうるおす。
食後、ゆっくりと歩きはじめる。ほどなくメモリアルパーク横を通過。さらに下って行き、採石工場の横を過ぎて、茶畑の中をアップダウンし、森の中の小道をたどって、また車道に出てすこしあるくと小岐須の集落。街中を抜け、茶畑を過ぎて山の中をすこし歩いて桃林寺。ここまで来れば椿大神社は近い。山道をすこし歩くと川の土手に出て、ほどなく椿大神社に到着。自販機のドクターペッパーを飲む。あと3時間で湯の山である。一休みしたあと、1時過ぎに歩みを再開し、集落から再び山の中の小道を歩いて、ほどなく内部川に出た。下流へすこし歩いて、道標に従い対岸へ渡る。ここですこし迷ったが、川岸の丘をジグザグをきって茶畑のふちに出て、ほどなくもみじ谷の遊歩道。ここを登りきってまた車道歩き。
雲母峰のすそをまくような車道歩きが延々続き、左から雲母峰登山道を2本合わせて、水場を過ぎてなお歩くと近鉄湯の山分岐。ここからは湯森林道の登りとなる。ここにきてのだらだらした登りはつらい。時折菰野市街が一望できる個所がある。苦しみながら高度を上げて行き、雲母高原休憩所についた。湯の山まではあと一時間強だが、疲れたし、湯の山の手前は険路なのでここでおやつタイムとする。ハンバーガー3個をアラブ首長国連邦の水「マサフィー」で流しこむ。疲れからかあまり美味しいとは思わない。それともハンバーガーはたまに食うからうまいのだろうか。
そのあと、MDウォークマンの音楽を聴きながら、怪獣映画の怪獣のようにズシーン、ズシーンとゆっくり目のペースで登って行く。高度575まで上がったあと林道が下りに点じ、そのあと林道から登山道に出た。ほどなくアップダウンの連続する苦しい道となる。荒れ気味の谷につけられた登山道は上へ下へと続き、どこをどう引きまわされているのか分からなくなる。御在所岳や鎌か岳をながめながら谷を何箇所か渡り、さらにアップダウンをへて、ようやく沢沿いに降り付く。沢沿いに下って、潜門の滝の横を通り、湯の山温泉の旅館街が見えてきて、四時半過ぎに湯の山温泉バス停にたどりついた。
待つほどもなく、16時44分発の近鉄湯の山行きのバスに乗りこんで、すぐに近鉄湯の山着。四日市で近鉄急行に乗換えて、18時ころに名古屋へ帰着した。まだ鈍行6時間の苦行がのこっている。わたしはヤレヤレと名古屋駅の2番ホームに向かった。つぎに乗るのは18時20分発の、特別快速浜松行きである。