45区 西青山→柘植駅

2003年1月7日(火) 44区から継続

640名張・・・700西青山駅−735西青山歩道橋−835青山高原三角点−940地下道−1017馬野谷分岐−1037笠取山肩−1146富永1207−1332田代池−1426霊山1440−1553柘植1606・・・1642亀山・・・1800名古屋1823・・・1958新横浜・・・2038橋本

5時15分、ホテルのモーニングコールで起こされる。昨日の疲れはあまり取れていない。このまま9時ごろまで眠り続けていたい気持ちを振り切ってベッドから出て、コンビニ弁当の朝食。登山靴を履いて6時半にフロントに降りて行く。さて、6時40分発名古屋行きの急行で昨日打ちきった西青山をめざす。青山町、伊賀上津と過ぎだんだん山が深くなって、7時ごろ、西青山着。ここからは昨日下った道を歩道橋まで歩いて戻る。音楽を聞きながら旧線跡の道を進み、クレイン乗馬センターからは国道を歩き、7時35分、歩道橋に到着した。きのうは右手から山を駆け下りてきたが、きょうは左手の林道を登る。

ところどころ凍結した林道をゆっくり登って行くと、昨日と同じように青山高原の別荘地に出た。その中を道標に従いつつ進み、サニーヴィラ青山のゲストハウス前を通り、なお別荘敷地内を登って行くと、三角点へ向けての階段の登りが始まる。100段くらいのゆるい石段の登りの後、急峻な手すり付きのぞおっとするような段数の階段が現れた。息を整えながら一段一段登って行く。体力に余裕のある序盤なのでまだましかもしれないが、手すりに霜が付着していてつかむと手が冷えるので手すりにすがる事も出来ない。どうにか長い長い階段を登りきって、青山高原道路に出た。しばらく道路の右側の歩道を進んでゆくと、ひと登りで青山高原三角点に到着した。

けっこう風があって激烈に寒い。頂上のレストハウスはシーズンオフのためか閉まっていた。林道を横切って自然歩道を進む。雪上をしばし歩き奥山神社への分岐を分けて北へ進路をとると、そこからはかなりのアップダウンの繰り返しであった。おそらく車道は尾根上を通っているのに、自然歩道は無意味としか思えないアップダウンを数回繰り返す。コースの詳細を知っていたら車道を歩いてズルしたほうがいくらかましであろう。利点と言えば木々が風よけになってくれるぐらいである。途中2箇所、沢の源頭部を木の橋で越える前後の大きなアップダウンがひときわ苦しかった。かかる難行苦行の道を一時間も歩いた後、目の前に風力発電の巨大なプロペラ塔が何本も現れた。風向きの関係でせわしなく回転しているものと微動だにしないプロペラがある。なんだか人間社会の縮図のようで思わず苦笑してしまった。

そのあと地下道で高原道路の下をくぐり、プロペラを見ながら駐車場の横を通り、また道路の下をくぐるとようやく青山高原の北端に出て、そこからは沢沿いを馬野渓方面に下って行く。チョロチョロとした流れがだんだん勢い良い流れになる頃、林道に出て、馬野渓分岐を過ぎて別の林道をのぼってゆく。その林道のどんづまりから山道の登り、そこからすぐに現れた急峻な丸太階段は驚愕ものであった。比叡山より急峻な斜面に丸太の階段道が無理矢理つけられている。私は思わず天を仰いでしまった。ヒイ、ハア、ゼエ、ハアいいつつ、このコースを作った三重県を恨みながら斜面を登って行く。

のぼりきった所が笠取山の肩で、林道が通っている。あとは富永まで林道の下りだが、林道が蛇行していてなかなか高度を削れず、しかもアイスバーンの上に薄く雪が積もっているため下りには難儀した。新雪の多いところを狙って進んだので、昨日のように林道のコーナーでインを取るという芸当が出来なかった。それでも布引山脈の主脈から外れたためか、高度600を切ると雪が消えていって、たんたんと下る事が出来た。高度500を割ると沢沿いになり、雪もほぼ消えて、当方はやっとMDウォークマンなぞ耳にはめて快調に下る事が出来た。槙野川を下ると長泉寺。ここでは林道の右の岩肌のしみ出した水が凍って大きなつららになっていた。斉浄坊渓谷のツララがサーベルタイガーの牙程度だとすればここのは日本刀くらいの長さはある。1本ポキと折って振り回して遊んだ。

ほどなくバス道路に出た。腹が減っていたので富永のバス停まではあえて国道を歩いて、外食できる店がないか物色してあるいた。運良く富永バス停そばに小さな食堂があったので入る。昼飯時なのにがらんとした食堂で「中華そば定食」というのを注文する。ごはんにラーメン、魚、イカの天ぷらにキャベツの千切りというボリューム満点の膳が出てきた。天ぷらはまあまあの味だったが、ラーメンはスープがどこか茫洋とした味であった。満腹して、のけぞって茶を飲んだあと、意を決して最後の登りに挑む。あとひとつ、霊山を越えれば本日は終了である。

東海自然歩道は新大仏寺には直接立寄っておらず、林道を歩くと10分ほどで田代池方面の登山道の入口に着いた。沢を石伝いに渡りながら高度を徐々に歩いて行く。高度400を越えると傾斜がきつくなり、当方も慎重に登って行く。高度500を越えるといったん下って林道を横切り、対面へ登り返して尾根上をしばらく進んで行くと、ほどなく眼下に田代池を目にする事が出来た。ちょっと下って田代池。堰堤の上を進み、湖岸を半周すると大阪市野外活動センターの敷地内を横切って、いよいよ霊山直下の登りにかかる。今の高度は530m、霊山頂上との差は235m、高度計の数字を上げて行くことに専念して進み、休憩所から伊賀盆地を一望して、そこからひと登りすると意外とあっさり電波塔の立つ霊山に出た。

北側は伊賀盆地が一望でき、南側は大山田をはさんで今日あるいた笠取山や青山高原が見える。午前中に通ったあのプロペラ群もかすかにマッチ棒のように見える。あそこから歩いてきたんだなと感慨に浸る。霊山の頂上は最澄ゆかりの山岳仏教の拠点だったところであり、発掘調査の跡などもある。ウイダーインゼリーを1袋吸いこみ、柘植へ最後の歩きにかかる。高度600mを切るまでは雪が残っていて油断できなかったが、そこからは何の心配もなく適当に下ることが出来た。クラシック音楽を聞きながら、林道をくだりきって名阪国道の下をくぐり、あとは柘植駅めがけて標識とガイドブックをたよりに進んで行けば良かった。公民館、黒杭池と順当に通過し、ほどなく目の前に草津線の架線が見えてきた。そして柘植駅の古い駅舎の前に出た。時刻は午後3時53分であった。

窓口で横浜市内までの乗車券を買い、16時5分発の亀山行きディーゼルカーに乗る。さっき登った霊山が遠くなり、列車は加太の山中を進み、峠を越えて関の町に入った。関西本線の駅舎やホームはどの駅も立派である。作られた当時は東海道本線並みの幹線であったがいまは東海道線や近鉄との競争に敗れ、単なるローカル線に成り下がっているのである。16時26分、亀山着。名古屋行きの電車で一眠りし、名古屋駅の新幹線ホームできしめんを食べてから、新幹線で帰京した。

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