第38区 大原→石山寺駅

2002年5月4日(土) 所要タイム:9時間22分 費用発生:22,100円

前夜2315多摩セ・・・新百合ヶ丘・・・045小田原106・・・浜松・・・555大垣・・・630米原・・・730京都740=大原840ー940仰木峠−1015横川−1040玉体杉−1140ケーブル駅1200−1300夢見が丘−1340南滋賀−1445長等公園1510−1530逢坂山渡道橋−1632音羽山−1715西山路傍休憩所−1802石山寺駅・・・石山1824・・・米原・・・2000大垣2018・・・名古屋2057・・・2233新横浜・・・橋本

世界的な経済競争が加速する中、日本経済は出口の見えない不況が続き、デフレスパイラルの悪循環に呑み込まれつつある。このような状況下、各企業は利益を確保するために雇用の調整を競って行っており.、大衆は経済的没落をおそれるあまり消費マインドを萎縮させている。企業が生き残りのために無駄な部分を極力排除し、生産性を向上させていくのであるから、企業に仕える労働者も強くならねばならないという因果な時代になりつつある。

このあいだ、ネットを見ている中で、さるコンサルティング会社のホームページに、ビジネスマンの行動チェックというメニューがあった。「英語はTOEIC600点以上である」「会議では事実に基づいた発言をしている」「毎月2冊以上ビジネス本を読んでいる」といった項目にYES/NOで答える形式で、全50問答えて「評価」をクリックすると、その人のビジネスマンとしてのスキル評価が出てくるというメニューであった。小生もためしに答えてみたが、評価は「唯我独尊タイプ、心を入れ替えて努力すれば道は開ける」というものであった。まだまだ精進せねばならんということらしい。

それはさておき、世間一般でゴールデンウィークと呼ばれている期間がやってきたが、小売業ではそんなものはあまり関係なく、まずまとまった休みは取れない。しかし、暑くなる前に山野辺コースの入口まで歩いておきたいという気持ちからか、無理矢理一日で大原から石山寺まで歩くという計画を前の日に立てた。もっとも前日に決めたのでは夜行高速バスの券なぞ取れるわけがなく、ひさびさの「ムーンライトながら」の利用となった。

金曜の夜、仕事がはねて、八王子野猿の自宅にいったん戻り、ザックに装備をパッキングしたあと、モノレールの大塚駅に向かい、多摩センターで小田急に乗換える。小田急線の下りは深夜にもかかわらず混んでいて、相模大野まで座ることが出来なかった。そのあと若干車内でまどろみ、目が覚めたら渋沢であった。新松田を過ぎるとようやく車内はがら空きの状態となり、0時40分頃、小田原に到着した。いつもならば駅前の吉野家で大盛りなぞ食べる所だが、今回はながらに座れる保証がないので、おとなしく小田原駅の3番線で「ながら」を待つ。

午前一時過ぎ、シールドビーム灯を輝かせて「ムーンライトながら」が入ってきた。酔っ払い客の乗り過ごしを考慮したためか、自由席は小田原からとなる。運良く空席をゲットできた。窓外の流れる夜景をぼうっとながめつつ、窓枠に頬杖をついて物思いにふけるのが夜行列車の旅の至福である。いくつかトンネルを抜け、熱海に停車、丹那トンネルを抜けて、三島、沼津に停車。このあたりで眠くなってきたので、夜行列車の揺籃に身を任せてまどろむ。

「ながら」に乗ると、なぜか浜松または豊橋の長時間停車で目が覚めてしまう。今回も浜松で意識が戻ったので、これを幸いに後発の臨時夜行快速に乗換える。これに乗ると、大垣到着が5時55分と、定時の「ながら」より一時間早く到着できる。もっとも臨時列車なので、車両は二世代前の、JR東日本が波動用編成として持っている急行型電車169系であった。座席は4人がけのクロスシートで、青春18きっぷのシーズンではないので1ボックス占有できた。足を前の座席に置き、そのまま上体を倒し、Lの字の格好で眠りに入る。

目が覚めたらいつのまにか大垣の少し前であった。右側に樽見鉄道が寄り添ってきている。大垣に着き、跨線橋をわたり、網干行きの鈍行に乗換える。垂井・関ヶ原・柏原・近江長岡・醒ヶ井とのどかな山間を過ぎ、ほどなく米原に到着。ここで新快速に乗換える。新快速は朝の近江路を高速で突っ走る。当方もいそいそと、コンビニ弁当の朝食をすませ、サンダルから登山靴にはきかえる。草津、守山、石山、大津と順調に過ぎ、トンネルを抜けると山科。またトンネルを抜けると列車は京都市街に入ってゆく。7時30分、京都着。

大原行きのバスは鈍足でしばしば一般車両に先を譲り、しかも乗車率が良いので各停留所にこまごまと停まってゆく。八瀬遊園から山中に入り、8時40分、ようやく大原バスターミナルに到着。何軒もの土産物屋の前を横切り、三千院へとゆるく登ってゆく。漬物屋が何軒かあり、漬物好きの小生としてはちょっと誘惑されたがそのまま先へ進んでゆく。ほどなく大原三千院。前回(表編)同様、チラと瞥見しただけで、右折し、野村分れ方面へ歩いてから、仰木峠への山道に向かう。耕地の端から登山道が始まり、しばらく沢沿いを歩き、じめじめした道を黙々と高度を上げてゆく。今日は曇りなので歩きははかどる筈なのだが、夜行の寝不足のせいか体が重く感じる。

四十分ほどしんどい登りを続け、戸谷からの京都一周トレイルコースを合わせ、仰木峠に到着。水井山へ向かう尾根どおしの道といったん別れ、いったん谷まで下ってゆく。土嚢補修箇所の多い下りをこなし、小さな流れをわたって再びきつい登り。ほどなく比叡山ドライブウェイの車の音が近くなり、地下道でドライブウェイをくぐる。そのあとすこし登って、横川の駐車場に出た。ここからは行者の回峰コースである。登り気味の道を淡々とすすみ、ドライブウェイを再びくぐって尾根どおしの道と合流すると玉体杉。そこからも山中をたんたんと進む。山間に延暦寺の鐘の音が響く。小さなアップダウンをいくつもやり過ごす。今まで使っていた登山靴がボロボロになったため、今回から登山靴を新調した。八王子市高倉町の某スポーツショップで購入したGTホーキンスである。ゴアテックス使用で7900円は安いと思う。まだ履き心地はしっくりこないが、足取りはまずまずである。

比叡山 山間わたる 鐘の音

ほどなく地下道で三たび、ドライブウェイをくぐってからは比叡山の寺院ゾーンに入ってゆく。釈迦堂・法華堂などの西塔地区を過ぎ、またドライブウェイをこんどは橋で渡り、阿弥陀堂の横を通る。このあたりに拝観料を払うための料金所があるが、「東海自然歩道通過者です」と言えば拝観料を払わずに済む。観光客で賑わう根本中堂を瞥見してから、すこし歩いてケーブル延暦寺駅。ここでおにぎりと白菜漬けの昼食。眼下の琵琶湖が綺麗である。そして弁天堂への下りにかかり、そのあとは山腹のトラバース道がしばらくの間続く。

小沢を二回渡ったあとしばらくトラバース道を歩いていると、三人組の登山者が反対側から現れた。インターネット上でお世話になっており、オフ会で何度か会っている「東海自然歩道膝栗毛」の松澤さん、佐々木さん達であった。比叡山のいちばんつらい所をしのいできたためか、大柄な松澤さんはけっこう汗をかいていた。松澤さん達もまさかかかるマイナーコースで同好の士とすれ違うとは思いもよらなかった様で、驚いている様子であった。「今日はどちらまで」と訊ね、「行ける所まで」のこと。当方がきょうは石山寺まで行こうと考えていると言うと、山男の佐々木さんが「また凄いこと考えるなあ」とおっしゃる。互いに先の情報を交換して、写真を撮った後に、互いに「お気をつけて」と言葉をかわし、三人と別れた。松澤さんもゴールまでもう少しである。

桜茶屋あとからいきなり急降下が始まる。おそらく東海自然歩道中最悪と思われる急傾斜の丸太階段道が続く。表編で呪いの言葉を吐きつづけながら登った階段をしずしずと下り、四ツ谷川を渡ったのち今度は山腹のジグザッグなのぼりである。ここにきての登り返しはきつい。気力で夢見が丘まで登りきり、いよいよ本当の下りにさしかかる。さくさく下って、意外にあっさりと沢に出て、しばらく進むと治山工事の資材置き場に出た。このあたり砂防ダムをいくつもつくっているらしく、前回来たときから八ヶ月しか経っていないのに、かなり様相が違っていた。

殺風景な工事用林道を足任せに下り、崇福寺跡を過ぎてなお下り、志賀の大仏をちらっと見て、百穴古墳の入口をすぎてからは住宅街に入り、ほどなく西大津バイパスとぶつかる南滋賀に出た。ここからは平坦な市街地歩きとなるので、MDウォークマンを耳に当て歩く。廃寺跡公園、近江神宮と過ぎ、ここからまたコースが分らなくなったので皇子が丘公園をめどに修正し、ちょっと山道を歩き、大津市歴史博物館の裏に出た。そのあと観光客で賑わう三井寺の境内を突っ切り、琵琶湖疎水をちらと見たあと、長等公園に到着。いいかげん疲れたのでここでパンの行動食。歩行時間は六時間そこそこだが寝不足とアップダウンでダメージが深い。食べ終わる頃、雨が落ちてきた。

降り出した雨に気を取られていたためか、逢坂山への登り口を見失う痛恨のコースミスを犯し、国道1号線に出てしまった。しかたがないのでそのまま国道を逢坂山渡道橋まで歩いて修正した。その後いよいよ本日最後の難関、音羽山越えである。今の標高が150m、音羽山の標高は593m、ざっとあと400m高度を稼がなければならない。うすぐらい森の中の急な丸太階段を息を整えながら登ってゆく。高度計の数字が上がってゆくのが唯一の励みである。高度450を過ぎてからは尾根に出て、登りがゆるやかになった。一歩一歩前進し、午後四時半過ぎに音羽山の頂上に着いた。雨霞が暗い森とマッチして幻想的である。

アップダウンを経てパノラマ台。そのあと尾根上の登り下りを2回繰り返し、ようやっと最後の下りになった。雨脚が激しくなり当方のシャツはずぶ濡れであるが、シャワーを浴びるつもりで雨具はつけないでそのまま下る。苦しかった上り坂に対するうらみを下り相手に晴らすかのように、丸太階段道を一気に下り、沢沿いの道をダダダダと下り、西山休憩所を通過。なおも下って林道に出て、小川沿いを下り、ため池の間を通って、ほどなく国分の住宅地に出た。もはやここまできたら気合である。ずんずん歩き、芭蕉ゆかりの幻住庵の入口を過ぎ、鳥居をくぐって国分の交叉点。分りにくい街並みを見当をつけて歩き、石山高校に出た。そこから足任せに一下りすると、ほどなく京阪電車の石山寺駅に到着した。目の前の川は瀬田川である。タオルで頭を拭きながらふらつく足で京阪電車にころがりこんだ。

帰京するにはいったん京都へ出たほうが早いのだが、私は石山からJR東海道線で米原へ出て、鈍行を乗り継ぎ大垣に出て駅前の食堂でおでん定食(赤だしつき)を食べ、名古屋から新幹線で帰京した。

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