2001年4月10日(火)
費用発生 40,800円(26区込み) 所要タイム12時間2分
2326横浜・・・501岐阜614・・・大垣643・・・706近鉄揖斐710=745東津汲ー850日坂ー930鍋倉山登山口ー1105鍋倉山ー1115鍋倉山避難小屋1135ー1245谷山ー1345六合ー1430新丁ー1520大津谷公園ー1545霞間ヶ渓公園ー1645円興寺ー1745梅谷ー1917伊富岐神社ー1947関ヶ原(丸山のろし場手前)ー1957関ヶ原駅2016ー大垣(泊)

東海自然歩道に行く予定のある休みの前は落ちつかない。小生は計画は作るが確定はしない。いわゆる本格的な登山はどうしても計画を組んでやらねばならぬが、東海自然歩道はそんなシビアな登山ではないので計画は作っても行き当たりばったりであることが多い。さて月曜の夜会社がはねて私はスーツの上着を会社のハンガーに吊るしたまま、京王八王子駅のコインロッカーを開け、中から登山用リュックを取り出した。会社に登山リュックを持ち込まず、わざわざコインロッカーに預けておくのは会社にリュックを隠しにくいのと、ひとつのけじめである。そのあと駅前のスーパーで食料を買い出す。そのあと私はJR八王子駅のみどりの窓口へ行った。今回はおなじみの夜行快速「ムーンライトながら」は、近鉄揖斐でのバスの接続がわるく、できることなら使いたくない。近鉄揖斐発7時10分という好便をつかまえるには、八王子から「あずさ」で塩尻に行ってそこから急行「ちくま」で岐阜着5時22分、または横浜あたりから寝台急行「銀河」に乗って岐阜着5時1分しか手がない。安く上がるのは前者だが、後者は寝れるので断然楽であろう。どちらにするか決めかねたまま私は八王子の窓口でこう言ってしまった。
「今夜の銀河の寝台券、ありますでしょうか」
窓口氏の答えは「B寝台ならありますよ」との事。これで本日の乗る便が決った。真夜中に塩尻で「ちくま」を1時間も待つのも感心しないので、初のぜいたく寝台車利用とあいなった。考えてみればわずか5時間半横になるだけで、寝台料金6,300円を徴収されるのだからぜいたくである。八王子駅ビル内の食堂で夕食をすませ、横浜線で横浜へ向かう。東神奈川で乗り換え、23時すこし前に横浜着。
23時26分横浜発の急行「銀河」が湘南電車の合間を縫ってホームに入ってきた。EF65型電気機関車に牽引された8両編成の客車である。急行なのでヘッドマークはない。車内は相当古びている。いわゆる「ブルトレ」は九州行きの特急あたりは改造が施されているが、この「銀河」はボロさ丸出しである。さて発車。ガックンという客車独特の衝撃とともにホームをゆっくりと離れた。寝台車に乗るのは10年半ぶりである。そのころ私はいわゆる「鉄道マニア」であった。いまは興味や関心が時刻表や車両よりは風景、自然の方に移っているのであるが、はじめて寝台車の切符を買ったときは(ちなみにその時は中2、急行「能登」であった)興奮したものだった。
8番上段の寝台へ梯子を伝って上がるとすぐに車掌の検札。そのあとすぐ眠ろうとするが勝手が違うせいか、なかなか眠れない。寝台の幅は70センチ、転落防止のベルトが二本張られている。小田原停車のあとはまあまあ眠って寝台券の権利を享受できた。目が覚めたら名古屋に列車は運転停車(客扱いせず、ドアを開けないで停車する運用のこと)していた。動き出すとすぐに車掌が小声で起こしにやって来た。「お客さん、あと23分で岐阜です。」
ボロ寝台急行を見送ったあと、岐阜のホームで弁当の朝食。寝たりないが致し方ない。なぜ「銀河」は大垣に停車しないのか、その方が15分余計に寝れたのにとも思う。ボケーっとしながら待ちつづけ、美濃赤坂行きの列車に乗る。西岐阜、穂積と停車し、揖斐川を渡ると右側に樽見鉄道が寄って来て、ほどなく大垣着。ここで近鉄に乗り換え、揖斐からさらに広瀬行きのバスに乗りかえる。バスは濃尾平野の端から揖斐峡の谷へと分け入り、長いトンネルを2つ抜けると、久瀬村の中心部に入り、ほどなく東津汲のバス停に着いた。前回打ちきった揖斐川のたもとのトイレの外壁にタッチしてから出発。
揖斐川を渡ってから、津汲の集落をあっさりと抜け、しばらく揖斐川の右岸の車道を進み、ほどなく日坂への道路へと入って行く。淡々と谷沿いの林道を歩き、体があったまった頃合いを見計らって付けっぱなしだったネクタイを外し、「戦闘服」のワイシャツを脱いで行動服のポロシャツに着替える。靴は岐阜の待ち時間で登山靴に履き替え済みである。なおも車道を延々あるくと、日坂の集落に飛び出し、揖斐高原への車道に入る。すぐに小さい林道が分岐し、鍋倉山への道を示している。「六合まで340分」の表記に辟易する。林道をすこし歩いたところでコースミス。アスファルトの道とダート道が同方向に分岐しておりどちらが正解かわかりにくく、アスファルト道をそのまま進んだ私はすぐに行き止まりにぶつかった。時間ロスは20分程度で実害は大きくなかったが。
日坂越えの前の滝のたもとが鍋倉山の登山口で、青い登山ポストがある。ここからが正念場だとポカリを飲んで気合を入れる。まずは沢沿いのゆるい登りを進む。太陽が照りつけ身体が熱い。しかし路傍には雪が散見される。まあましな緩い登りは標高700mまで続き、そして日坂越えの稜線に出る。ここからすこし起伏を繰り返した後、眼前の鍋倉山に取り付いたあと350mも高度を稼ぐ。石造りの階段をハアハアいいながら高度を稼ぐ。頂上部の稜線は残雪がかなり残っておりルートがわかりにくかった。雪に足をとられながら進み、どうにか鍋倉山頂上着。そこから雪の稜線を10分ほど進むとしっかりした造りの鍋倉山避難小屋。ここでおにぎりの昼食。
高度を下げれば雪が消えるので一心不乱に谷山への下りにかかった。順調に高度を下げて行くと雪も散見される程度になり、さらにカーブを切って行くと沢沿いの道になり、ダートの林道となり、廃村集落の谷山に着いた。道路工事をやっていたのでとても廃村には見えなかったが。そこから高橋谷川沿いに林道を下って行く。途中で川岸をたどる細い林道と高巻く林道に分岐するが、細いほうが正解である。高橋谷川に寄り添いながら下り、淡々と高度を下げると、小さいダムの横を通り過ぎ、ほどなくバス道路に出た。六合のバス停からさらに粕川ぞいの幹線道路の下り。時々現れるダンプには生きた心地がしないが。時折現れるジュースの自販機は助かる。こういうときの冷えたポカリはうまい。春日郵便局からさらに下り、巻き出しの下をくぐったりすると瑞岩寺橋ほとりの新丁バス停。まだ2時半なので歩みを続ける。そこからはやや平坦な車道歩き。
蘇生の泉や桜満開の大津谷公園、霞間ヶ渓公園など、見るべきものが多かったのでそんなに退屈はしなかった。桜吹雪舞う中のウォーキングもおつなものである。左手には濃尾平野が一望。自販機のジュースを飲みながら、耳のヘッドホンステレオからは気分転換剤の音楽。霞間ヶ渓公園は花見の観光客が押し寄せ、屋台が数軒出ていた。イカ焼きの屋台が気になったが振り切って先へ進む。ほどなく涼雲寺の前を過ぎ、池田温泉を横目で見ながら円興寺越えの道路に入り、トンネルの横から峠へすこし登り、また下ってトンネルの反対側に出る。大垣市野外活動センターの前を通り、ほどなく円興寺。時間は16時45分。もちょっとがんばろうかと思う。
田園地帯を進み、東海道本線(垂井迂回新線・・・大垣から関ヶ原までの上り坂は輸送力の障碍となるので迂回線がつくられた、垂井に止まらない特急列車・貨物列車は下り線のみこちらを通る)の下をくぐる。ほどなく美濃国分寺跡。(寺自体は新築同然) 大垣市歴史博物館の横をかすめると道はまたも北上し、また線路の下をくぐり、田圃のあぜ道をあるいてから林道。平尾池1号・2号池を過ぎると林道の行き止まりからゆるいのぼり道をすぎると梅谷の集落。こうなったら意地でも関ヶ原まで歩こうと心に決める。そこからぱっとしない夕暮れの田園地帯のアスファルト道をてくてく歩く。夕暮れ時のほうが涼しいので歩きやすい。藤の森、大滝と過ぎてゆき、岩手の踏切のあたりで日が暮れた。
そこからものどかな田園地帯の歩き。遠くの方で新幹線がシャーッと突っ走って行くのが見える。道標に従いつつ東海道線の下を南へくぐり、また北へくぐり、田圃のあぜ道を引きまわされて当方もマグライトで照らしながら慎重に歩き、ほどなく東海道線を五たび、こんどは陸橋でまたぐ。そこから丘の端の道を伊富岐神社へ歩き、そこからはせまい舗装路を関ヶ原へ向かいひたすら歩く。ややあたりに住宅が立てこんでくると、六たび東海道線の下をくぐり、なおも進むと丸山のろし場の分岐に着いた。関ヶ原駅まで700mとエスケープできるので今日はここまでとし、道標にタッチしてから関ヶ原駅へと向かった。バイパスの下をくぐり、本線・迂回線が合流した東海道線の下をくぐると関ヶ原駅はすぐそこ。午後八時前にフラフラながら関ヶ原駅にころがりこんだ。まだあの三河大野・田口の死闘に比べるとましな方である。待合室でコーラを飲む。これが本当にうまかった。
電車で大垣までふた駅戻る。大垣の駅前ビジネスホテルを押さえてある。大垣駅南口にコンビニが見当たらなかったので、翌日の食料用に駅前のベーカリー屋でパンを買いこんでおく。そのあと駅前の食堂でおでん定食の夕食。味噌汁は赤だしで、まだ名古屋圏である。そのあとホテルに投宿。風呂に入ったあとベッドに倒れこむ。ああ、疲れたと言うほかない。