第24区 神海→東津汲

2001年3月25日(日)

所要時間7時間20分 費用発生19,525円

多摩センタ2315・・・小田原106・・・豊橋433・・・555大垣610・・・神海655ー755淀坂峠805ー華厳寺分岐815ー妙法が岳925ー1105横蔵寺1115ー下辻峠1225ー小津1330ー1415東津汲1537=1608近鉄揖斐1620・・・大垣1733・・・浜松2044・・・2207小田原・・・新百合ヶ丘・・・・多摩センター004

224ibi.jpg (17162 バイト)

年をとるごとに月日の流れ、季節の流れが速くなる、と職場の先達の方々は口を揃えて言うが、あながちそうとも言えない面がある。神経を日々とがらせながら過ごしていると一日一日が、一周間がとてつもなく長く感じる。この件はどうしよう。あの件はそっちとあっちにアナウンスしておかなきゃな、ミスのないように日々乗りきるのが大変だと感じ、休みの日は疲れたーと言って一日中布団の中に突っ伏す。そんな日々にうんざりしてくるといきなり、目の前の課題を一時的にうっちゃらかしておいて旅に出たくなるのである。

連休の前の日に突然続きをやろうと決断した。理由は東海道線の夜行に臨時列車が走るからである。定時の「ムーンライトながら」を使って大垣まで行くと、大垣での樽見鉄道の乗り換えが2分しかなく、多客期ではすんなり乗りかえるのが厳しい。ところがシーズンのみ運転される臨時列車は、豊橋で「ながら」を追い抜いて、大垣着は5時55分と、「ながら」より1時間早い。しかも樽見鉄道の接続が6時10分となかなかよい。これを使えば東津汲までは確実に行けると判断し、いつものように私は深夜の多摩センターへ向かった。

小田急線の中で一眠りし、秦野を過ぎると電車はガラガラになる。渋沢からは蛇行する四十八瀬川を幾度も渡り、東名高速の灯りの下をくぐると新松田。そこから酒匂川を渡り、小田原の街並みに入って行く。小田原での待ち時間を利用して吉野家で牛丼と味噌汁とお新香の夜食。腹ごしらえをしたのち駅にもどり、「ながら」を待つ。最初から臨時を利用しないのは、「ながら」のほうが座れる可能性がわずかながらあるからである。ほどなく鵜飼舟をヘッドマークにあしらった「ながら」がホームに入線してきた。幸運にも空席を見つけて座ることが出来た。窓枠にほおづえをついて、夜の車窓をボーっと眺めるのは夜行列車の至福である。

トンネルを出たり入ったりしながら、湯河原の温泉町を過ぎ、熱海に停車。熱海を出てちょっと走ると左手に来宮駅を見て、そのあと長い丹那トンネルに入る。出て函南を通過し、三島、沼津と停車して行く。うとうととまどろむうちに静岡を過ぎ、浜松に停車。浜名湖の岸辺を鉄橋でごうっと通過する。列車は夜の闇の中を走り、ほどなく豊橋に停車。ここで臨時快速に乗りかえる。臨時快速は案の定混んでいて、デッキはおろか通路まで人でいっぱいであった。こんな状態のまま名古屋まで行くのはつらいが仕方ない。この臨時快速は豊橋から名古屋まではノンストップである。ボロ車両に似合わぬ猛スピードでつっ走って行く。名鉄と中央線が寄り添ってきて、金山を通過する。

名古屋で降りる人が少しいたので座ることが出来た。少しウトウトし、目が覚めたら穂積であった。揖斐川を渡り、5時55分、大垣着。乗客が一斉に接続する東海道線の姫路行きに乗りかえるべく大移動する。樽見鉄道のディーゼルカーに乗り換えたのは私一人であった。樽見鉄道はもとは国鉄線だったのだが赤字で廃線候補になり、第3セクターで存続になったローカル線である。列車は谷汲口まで私一人の貸しきり状態であった。いままでバスの貸切はあったが、列車の貸切ははじめてである。ディーゼルカーは濃尾平野を北進し、本巣からは根尾川と寄り添い、ほどなく神海に到着した。

さっそく歩きはじめる。華厳寺までは正月のノーコンテストツアーでロケハン済みなのでさっさと進む。公民館の交叉点を右折し、線路を越えてから神海橋をわたり、突き当りを右折してほどなく岐礼の集落からいったん根尾川の高巻き道にはいり、ほどなく林道にもどってそのまま突き進む。大きな貯水池の横を通り、道がいつのまにかダートの林道になり、沢の幅が狭まると山道に入る。ひと登りすると淀坂峠。悪いことに雨が落ちてきた。ここでコンビニ弁当の朝食。そのあとカッパをはおり出発。夜行の寝不足のせいか体が重い。10分ぐらいくだって華厳寺の分岐にいたり、そのあと妙法が岳へののぼりにかかる。

小さな地蔵堂が連発される石段混じりの急な坂道をぜえぜえ言いながら登り行く。ほどなく奥の院に到着し、あずまやの横からふたたび急なのぼり。雨に打たれっぱなしで雨滴で眼鏡が曇る。高度計の数字を見ながらの急な登りが続く。標高600を越えると尾根に出て、なおも急な丸太階段の道を二つ三つ耐えると、妙法が岳に到着した。そこからいこいの森までの稜線歩きが大変で、大きく登ってまた下ってを繰り返す、節操のないまるで岩古谷山のような道であった。北側の斜面に残雪が散見される。そんな疲れるアップダウンを1時間以上もくりかえすと林道に出て、ここからはいこいの森の中のジグザグの下りである。飽きるほどのターンを繰り返しながら標高を250まで落とすと、小さな滝の横から横蔵寺に出た。横蔵寺には断食入定した妙心上人のミイラがあり、スゴイ迫力とシェルパ斉藤さんの本に書いてあったので、寄り道して見てみることにする。

靴を脱いで畳敷きのミイラ堂に入り、拝観料200円を支払う。奥にガラスケースに入ったミイラがあった。暗いガラスケースの中に小さめの古い座仏像のような形で座っているのがミイラで、腕はひからびておりかなり細い。組まれた両手の先には数珠が。想像していたよりかなり小さいが、干からびたらこんなふうになってしまうのかと思う。ふたつの眼窩がくぼんでおり、口を大きく開けている。

横蔵寺からは車道をすこし下り、赤い橋の手前で右折し、飛鳥川沿いに歩いて行き、すぐに支流沿いとなる。あたりはスギ・ヒノキ林で、スギの枝の先端が花粉の胞子で変色している。すこし目が痛くなってきた。下辻峠への山道に入り、ほどなく大きな砂防ダムを巻きながら登って行き、倒木混じりの荒れた坂道を延々のぼり行く。ここにきての大登りはきつい。疲れているので、怪獣映画の怪獣のようにズシーン、ズシーンと一歩一歩登って行く。ハアハアいいながらまたも標高550まで登り返し、下辻峠の林道を越える。

ここからの下りは残雪の上をすべらないように下ったり、倒木が道を塞いでいる箇所もあったりでスリルがあった。ジグザグに下りを切りながら、時折現れる倒木をくぐったりリンボーダンスでやりすごしたりまたいだりして過ぎるが、1回だけ中途半端な腰の高さに幹が横たわっているのがあり、少し思案した後またぐことにして、幹に手を掛けてすこしズリ下げてから右足を掛け、倒木に跨る格好になりながらもエイヤッと乗り越えることが出来た。路傍のベンチで昼食の後さらに難儀な下りを続けると、ほどなく流れをかたわらにするようになり、なおも下ると大きな石造りの砂防ダムの横から林道に出た。流れを高巻きながら進むと小津の集落に出て、小津川を渡り、左折して東津汲への車道歩き。

後のない車道歩きになればこっちのもの。ウォークマンを耳に当て、音楽を聴きつつ小津渓谷の雪解けの激しい流れを見ながら淡々と歩き、ほどなく大きな鉄管の下をくぐり、揖斐川と小津川の合流点に出た。久瀬村役場の前を通り、バス通りに出たところが東津汲のバス停。午後二時だが本日はこれにて打ち止めとする。疲れているしスギ花粉で目が痛い。一時間強待って近鉄揖斐行きのバスに乗った。帰りは浜松まで普通を使い、そこから新幹線で帰京した。

25区 東津汲→関ヶ原へ進む

東海自然歩道に戻る

ホームに戻る