16 至仏山 2228m

(山紹介及び楽な登り方。)尾瀬の名峰。尾瀬ヶ原から望むとたとえようもない美しさ。いい山です。楽な登り方はやはり鳩待峠からです。難易度1プラス。

登山記録 1994年9月5日(月)

634大宮・・・706高崎714・・・758沼田810=940戸倉945=1010鳩待峠ー1122オヤマ沢田代ー1148小至仏山ー1225至仏山ー1312小至仏山ー1330オヤマ沢田代ー1430鳩待峠ー1510山ノ鼻ー1610竜宮十字路ー1636下田代十字路

 私のようなにわか登山者にとって、尾瀬はあこがれの地である。しかし尾瀬は一流観光地でもあり、尾瀬の山小屋は数が多いにもかかわらず完全予約制(予約がないと泊まれない)がしかれている。幸い、大学は九月中旬まで休みである。この好機を利用しない手はないと考えた私は、九月上旬の平日に至仏山と燧ケ岳を一泊二日で登るプランを練り上げた。そして八月中旬に、下田代にある第二長蔵小屋の予約センターに電話した。

 「はい、こちらは長蔵小屋予約センターです」

 「すみません、第二長蔵小屋の予約を申し込みたいのですが九月一日は空いておりますでしょうか」

 「えーと、申し訳ありませんが九月一日は満室になっております」ナニッ、木曜はだめか、すかさず切り返してみる。「どのへんがあいておりますか」

 「えーと、その前後でしたら」頭をすこし回転させ、月曜日を攻めてみる。「九月五日はどうでしょうか」

 「空いております」「では五日でお願いします」

 「ご入山はどちらからでしょうか」「鳩待峠からです」

 「ご到着時間の方は」「五時頃の予定です」

 「ご夕食が五時からとなっておりますのでなるべく五時までにご到着くださるようお願いします」「はい」

 「えーと、お名前の方を…」「今野と申します」

 「今野さまですね、ではお待ちしております」  ふう。なんと肩のこることであろう。

 大宮発6時34分発の「とき401号」は関東平野を快走しわずか32分で高崎着。げに新幹線は魔法の杖である。高崎からはロングシートの味気ない電車に乗り、7時58分、沼田着。ここで大清水行きのバスに乗りこむ。戸倉で鳩待峠行きのバスに乗り換え、10時10分、鳩待峠着。まずは至仏山の往復である。 鳩待峠からのゆるい登りは途中から木の階段状になる。南面の見とおしがよく、奥白根山が見える。オヤマ沢の細い流れを渡り、ひと登りでオヤマ沢田代。ここからはハイマツの高山帯だ。

 見とおしが開け、東側の尾瀬ヶ原と燧ケ岳がよく見える。そして岩稜の登りにかかるがここの岩はツルツルして滑りやすい。(後で分かったことだが蛇紋岩という岩で出来ているから滑りやすいそうだ)しんどいのぼりを経て小至仏山にたどり着く。ここからはいったん下りとなり、鞍部から再び登り返す。展望は良いが足下が滑りやすい。神経を使いながら登りつづけ、ほどなく頂上着。見かけは優美そうな山だったが登ってみると案外手ごわい山であった。

 東側の尾瀬ヶ原の展望がすこぶる良い。燧ケ岳はもちろん、会津駒も見える。もう少しこの展望を楽しんでいたかったが今日は先が押し詰まっているのでさっさと下山を開始する。小至仏山の登り返しがきつかった。オヤマ沢の細い流れで喉を潤し、淡々と下りつづけ、観光客でにぎやかな鳩待峠に戻りついたのは午後二時半である。あと二時間半以内に下田代にたどり着かないと夕食にありつけぬ恐れがある。コースタイムは二時間五十分の標示であり、苦しいが仕方ない。観念して山の鼻への下りにかかる。少しペースを上げながら。

 木道が整備されているのでバシバシ飛ばす。ゆるい下りを続け、川上川を渡ると山の鼻。ここから望む至仏山は雄大だ。さて、尾瀬ヶ原である。

 花の見ごろは過ぎたがさすがは尾瀬ヶ原である。広大な湿原、眼前には燧ケ岳が堂々と聳え、降り返れば至仏山が大きい。草原は小さな池をちりばめ草が風になびく。たとえようもない美しさだ。山奥にもかかわらず入る人が多いのも頷ける。早足で突っ走ってしまうのが惜しい。日が西に傾き、秋の湿原に西日がさしこみ、あたかも黄金色のようだ。至仏山がだんだん遠ざかり、燧ケ岳が大きく近づいてくる。当方はこの景観に目を奪われているが五時までに下田代にたどり着かないと食いはぐれるぞとの雑念も去来する。竜宮現象を瞥見した後、なおも木道の早歩きを続ける。

 眼前の燧ケ岳が大きい。ようやく下田代の山小屋群に入り、19キロもの本日の長い行程が終わり、第二長蔵小屋の前にゴールインしたのは午後4時37分であった。二階の14号室に案内される。なんと個室であり、六畳間を私一人で占領できた。オフシーズンの平日作戦は正しかったなとほくそ笑む。一憩したのち、ほどなく夕食。一階のモダーンな食堂に通される。宿泊客は三十人くらいで意外に若者が多い。夕食のメニューは焼き魚、サラダ、野菜の煮物などで味も上々であった。ただし御飯があまり美味しくはなかった。が、山菜の漬物がすこぶる美味であった。

 夕食の後はなんと風呂である。山小屋では相部屋、雑魚寝、風呂無し、穴便所が当たり前であるが尾瀬はさすが一流観光地で個室、風呂あり、水洗便所、売店ロビー付きである。これはもはや山小屋ではない。ホテルの域に達している。厨房をのぞいてみると従業員が四、五人皿洗いをしていた。調理器具のひとつに妙な機械があった。「ライスロボ」なる機械で、表面に「つよしくん」とマジックで手書きしてあり思わず笑ってしまった。

 ロビーの一角にはインスタントコーヒーが飲める設備があり(200円)疲れているせいか砂糖を四つぶちこんだコーヒーは下界で飲むそれよりはるかにうまかった。やはりここは山小屋離れしている。もっとも本棚に「岳人」のバックナンバーを置いてはいるが。外に出てみると日は没し、残光が至仏山をかたどっている。落日の尾瀬ヶ原もこれまたすばらしい。部屋に戻り布団に横になる。枕が自宅と違うので熟睡とはいかなかったものの一、二度目を覚ましただけで良く眠れた。これで宿泊料6300円は実に安い。朝食は普通の和食メニュー。燧ケ岳登山に備え御飯と味噌汁をおかわりする。朝食後すぐ出発する。少し寒いのでパーカーを羽織る。

17 燧ケ岳 2356m

(山紹介及びもっとも楽な登り方)尾瀬沼のほとりに立ついい山。尾瀬の素晴らしさはこの山に登って最大限実感できる。楽な登り方は御池からの道、尾瀬沼からの長英新道、本文記載の見晴新道、どれもやや厳しい。難易度2プラス。

登山記録 1994年9月6日《火》

630下田代十字路ー940柴安岳ー1012俎岳ー1110熊沢田代ー1145広沢田代ー1225尾瀬御池1425=1625会津高原1646・・・1953浅草

 樹林帯の中の山道を淡々と登って行く。見晴新道のくせに展望はまったくきかない、涸れ沢をつめるルートである。しだいに急坂に変わってゆき、登れば登るほど傾斜の増す道である。こうなると根比べでありしこしこと自分のペースで登るほかない。二時間ほど歩くと低木帯に変わり尾瀬ヶ原と至仏山が望める。ここからはガレ場の急坂。ステッキで体を支え、左手で木の根や岩につかまりながらのしんどい登りを続ける。ほどなく展望が開け、頂上部が見える。あそこまで行くぞと気合を入れなおし、なおものぼりつめて行くと温泉小屋からの道を合わせ、最高峰の柴安岳までは二十分である。ハイマツと石楠花の荒荒しい岩稜帯を登りゆく。

 振り返れば尾瀬ヶ原と至仏山が見渡せる。ようやっと最高峰の柴安岳にたどり着いた。余勢を駆ってもうひとつのピーク、俎岳へと向かう。ぞっとする急降下を続け、小広い鞍部に降り立ち、そこからしんどい登りを十分続けると俎岳である。

 さすがに展望は抜群。尾瀬ヶ原、至仏山はもとより、南に目を移せば尾瀬沼と大江湿原が望め、東側は霞のフィルター越しに奥白根山と男体山が見える。北側に目をやれば会津駒や平ヶ岳も見渡せる。もはや何も言うことはない。尾瀬ってすばらしい。

 今日中に帰京するので御池への下山にかかる。この下山ルートには閉口した。すごいザレ場で滑ったり、けっこうな急下降に苦しみつつ木道をはさんで池が二つ並ぶ熊沢田代。そこからわずかに登り返した後、再び急下降。しかも道がぬかるんでいて靴が泥にまみれ、滑って尻餅をつきそうになる。慌てて下って怪我をしてもつまらないのでのんびりと下る。広沢田代を過ぎてからは道はゆるい下りとなる。ほどなく道は平坦となり、燧裏林道との分岐に着いた。そこから木道を少し行き、階段を上るとヘリポートに出、大駐車場を横切り、やっとのことで御池の休憩所にたどり着いた。

 靴を脱いで足を風にさらして解放感に浸る。思えばビッグプランであった。

 会津高原までは二時間バスに揺られた。

18 那須岳へ

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