4 雲取山

1992年11月14日(土)

505立川・・・621奥多摩655=732鴨沢ー900堂所ー1000ブナ坂ー1115雲取山1150ー1225ブナ坂ー1351鴨沢=奥多摩・・・立川

 秋、日は短いが好天の続くいい季節である。晴れの日が続くと山に行きたくなる。安く上げたいので最も手近な雲取山をやろうと決意し、夜明け前の南武線の始発に乗り、立川で青梅線に乗りかえる。

 青梅を過ぎてもまだ闇である。多摩川上流の険路を電車は山手線よりノロノロと走る。駅数が多く、ちょっと走っては停まるので退屈である。私がはじめて青梅線に乗ったのは小学五年の時高水三山に登ったときのことであった。はじめて見る単線の線路や交換に感動したことを覚えている。御岳のあたりで夜が明けた。天気は良さそうである。多摩川の谷をさかのぼり6時32分、奥多摩に着いた。ここからバスで鴨沢へ向かう。車内は中高年登山者で埋まっていた。バスは乗客のほかに新聞も積んでいて、「深山橋」「留浦」などと集落別に小分けしてあった。

 トンネルをいくつか抜けると奥多摩湖であった。紅葉は見ごろを過ぎたものの、まだまだ美しく、青い湖面とのコントラストは素晴らしいの一言に尽きる。バスは湖面を西へ進み、7時30分鴨沢着。今回は早く行って早く帰ってくることを旨としているのでルートは最短の鴨沢道を選んだ。

 奥多摩湖を眺めつつ登ってゆくと林道に出会い、少し歩くと雲取山への登山道が分岐する。林の中の薄暗い道と開けた山腹の道が交互に繰り返される。農家を二つ、廃屋を二つ通りすぎると登りが本格化するが、傾斜はほどよい道である。眼前には石尾根が威容を見せ、下からは沢の音がドドドドとかすかに聞こえる。さしてひどいのぼりもないまま標高1200mの堂所着。この登山道は実にうまく高度を稼いでおり、一時間ぶっ通しで歩いても息が切れることはない。足元の落葉の絨毯を踏みしめるとファサリ、という優しい音がする。七ツ石小屋からの道を合わせ、ブナ坂に到着。

 ここからは石尾根を頂上まで一時間二十分の頑張りである。これまでと違い、防火線の枯れ草原の中を小コブを越えながら歩く、楽しい稜線漫歩である。五十人平のヘリポートを通り、雲取奥多摩小屋を過ぎてからは急坂になる。ザレ場を上手に歩いてつめる。ここは踏ん張りどころである。いくつかの急坂を越えると雲取山頂の避難小屋のログハウスが視界に入った。しかしそこへたどり着くにも急坂を三つばかり越えねばならなかった。しんどい登りを十分ほど続け、頂上の一角の避難小屋に着いた。

 鴨沢から三時間四〇分、東京都で最も高い所に案外楽についた。頂上には大方位盤があり、地図と比べてみる。西側の展望が最もすばらしく、飛竜山と和名倉山が大きな姿を見せていた。甲武信も見える。遠くには南アルプスの甲斐駒や仙丈も見える。しかし一番心打たれたのは黒々とした山々が、はてしなくはてしなく西へ続いている奥秩父である。まさに「黒竜の尾をうつがごとき」である。

 十一時五十分ころ頂上を後にした。もはや来た道を戻るのみである。急坂を下ってゆくにつれ先程までいた頂上が遠くなる。石尾根をスイスイ下り、三十五分でブナ坂に着いた。ゆるい下りなのでダダダダと駆け下りることができ、行きに通った道なので危ないところは無いとわかっている。鴨沢から一泊予定で登ってくる人が多い。

 快調に山を下ったら幸運にも奥多摩行きのバスがすぐさまやってきた。ラッキーである。懸念していた青梅街道の渋滞も無く、14時30分に奥多摩駅に着き、わずか四分の待ち時間で立川行きに乗れた。見終わった絵巻をまた見返すような一時間半が過ぎ、立川から南武線に乗り換え、四時半頃自宅に帰着した。雲取山頂から自宅まで四時間四十分で終わってしまった。特に鴨沢から立川までの電車・バスの接続は絶妙を極めたと言って良いだろう。本当に自分は東京都の最高峰・雲取山2018mに登って頂上まで行って帰ってきたのかと疑わしくなるほど快調な山行であった。風呂につかり疲れを流す。外はまだ明るい。

                  

    5 大菩薩嶺へ

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