19 八幡平 1613m

(山紹介及びもっとも楽な登り方)岩手秋田県境に位置する高原的山。楽な登り方は…いうまでもないですね、難易度評価もありません。

登山記録  1995年8月23日《水》

800東京・・・1035盛岡1105=1240見返峠ー1300八幡平ー1320見返峠=1345黒谷地1358=1540盛岡

 この山行記はすべて一人旅のものであるが、例外もある。今回の東北ツアーがそうで、バイト先の友人の同僚、大田智泰さんとの二人旅である。盛岡に一泊し、八幡平と岩手山をやることで合意した。足慣らしを兼ねて大田さんと奥多摩の三頭山を登ってみたが、どういうことになるかはわからぬ。

 新宿駅で大田さんと落ち合って、東京発8時の新幹線「やまびこ1号」盛岡行きに乗る。この「やまびこ」は盛岡までの間、仙台にしか停車しない。朝の関東平野を爆走したかと思うと那須塩原からトンネルを抜けみちのく路に入る。郡山も福島も通過し、9時44分仙台着。仙台からも稲作地帯を爆走し北上川を幾度か渡り10時35分盛岡着。バケモノじみた速さである。盛岡からは大田さんの運転するレンタカーで一気に八幡平頂上部の見返峠まで行く。

 国道4号線を経て津軽街道に入る。大更からは美しい林の中を走り抜け、アスピーテラインに入る。つづら折りの坂道を走り抜け、スノーシェードを抜けると八幡平の高原に入ってくる。岩手山の優美な裾野が見える。下界の眺めもすばらしい。高原の優雅なドライブ、しかも同行者に運転をさせておいて(この時点ではまだ免許を持っていなかった)見ているだけのほうは極楽である。沼が見え、高山植物も散見される。坂を登りきると岩手秋田県境の見返峠である。駐車場に車を停めて八幡平頂上まで歩く。石畳の道を歩き、ガマ沼や八幡沼を見ながら歩く。

 八幡平の頂上は漠然としていたが大きな標柱と展望台があった。遠望がきかないので岩手山も秋田駒も見えない。わずか20分の歩きで頂上に着いてしまった。こんなんで百名山にひとつくわえてしまっていいのだろうかとさえ思う。帰りは鏡沼を通ってみる。沼のほとりに咲く高山植物が美しい。ほどなく駐車場に戻りつく。ここの展望台の眺めもなかなか良い。裏岩手連峰が一望のもとに見渡せ、その先は岩手山の裾野へと続いている。

 車ですこし戻ったところにある黒谷地の湿原を少し歩いてみる。ここはあまり歩く人がいないらしく木道も荒れ気味である。熊ノ泉で喉を潤す。八幡平は手ごろな山であった。

来た道を戻り、盛岡市内に帰ってきた。今夜の宿は盛岡市内のビジネスホテルを予約している。少し時間が早いのでうまいものを食いに出かけようと思う。大田さんは観光案内書にある洋食店へ、私は盛岡に来たからにはわんこそばをぜひ食べたいので、盛岡八幡宮近くのわんこそば屋に入った。はたして二階の琴のBGMが流れる座敷に通され、前掛けをして待つとトロロやナメコ、スジコなど十数種類の薬味の入った皿が置かれ、ほどなく紺がすりを着たお姉さんが一口大のソバとツユが入った椀を十二個、三列縦隊で載せた盆をもって現れた。食べた数は交通量調査とかで使われるカウンターではかるのであった。お椀のふたを開ける。

 お椀の中に一口分のソバが投げ込まれツルッと流し込むやいなや間髪いれず次のソバが投げ込まれる。黙々と格闘する。十二杯食べるとお姉さんが次の盆を持ってくるのでその合間をついて薬味に手をつける。ソバとスジコは意外によくあう。なおも黙々と食べつづける。男なら五十杯は当たり前、百杯食わにゃ惚れやせんというが五十杯過ぎた時点でいつ止めようか思案し、明日は山行なので腹をこわしてもつまらないと思い、七十二杯でお椀のふたを閉じ降参した。満腹して、のけぞって茶を飲む。すごいゲームであった。

20 岩手山 2040m

1995年8月24日《木》

盛岡630=800焼走りー1100平笠不動小屋ー1125岩手山ー1146平笠不動小屋1210−1346焼走り=盛岡1654・・・1944東京

(山紹介及びもっとも楽な登り方)言わずと知れた岩手の名峰。石川啄木も原敬も米内光政もこの山を見て育った。人の心までおおらかにしてくれる山である。近年火山活動の疑いで登山禁止になったらしい。一刻も早い沈静化を願う。もっとも楽なのは焼走り、もしくは柳沢登山口からのコース。富士山が登れる人ならまず大丈夫。難易度2プラス。(5段階評価)

(登山記録)

 五時前に起床し、フロントが開くのを待って岩手山登山口の焼走りへと出発する。天候はあまり良くない。

焼走りのふちにつけられた樹林帯の道を歩く。徐々に道は傾斜を増し、登山道が溝状に荒れている箇所もあったがステッキで体を支えているのでなんとかしのぐことが出来た。一時間ほど歩くと道は砂れき状に変わり、焼走りの噴出口に着く。ここから溶岩が下方に押し出してきているのである。ここからは山腹につけられた富士山のような登山道が続く。樹林帯の登りでかいた汗が風に吹かれて肌を冷やす。

 道が再び樹林帯に入るとツルハシという地点に着き、そこからもしんどい登りが続く。八幡平らしき山が雲霞のかなたに見える。登りがややゆるくなり、低木と高山植物とハイマツが目につくようになると眼前に茶臼岳の岩峰が現れ、平笠不動小屋に到着した。小屋は意外にしっかりとした造りで、寝袋さえ持っていれば十分宿泊可能である。ここまでたっぷり三時間汗をかかされたが、なおあとコースタイムにして四〇分登らねばならない。

「荷物ここにおいて登りましょう、水だけ持って」と私は大田さんに言った。八ヶ岳で行った究極の登頂手段、空身で行こうと決意した。ズボンの尻ポケットにボルビックのボトルを差し、手には杖だけ持ってアタック開始である。高山植物帯の中をえっちらおっちら登り行く。下の小屋が徐々に遠ざかり、高度を稼ぐにつれ、お苗代湖や裏岩手連峰が見えてくる。疲労のため足取りが重く、先を進む大田さんとの差が広がっていく。霧が出てきて、風も強くなってきた。ビョウ、ビョウと吹きつけてくる。

 なおも急な登りを続け、火口壁の上に出た。そこは恐ろしく風が吹きすさぶ稜線であった。半ばヤケ気味に歩みを進める。「吹き飛ばされそうだ」大田さんが叫ぶ。前傾姿勢を保ち、腰を落とし、風と相撲をとるようにして一歩一歩進み行く。頂上は近いはずなのだが霧に阻まれ見えない。当方はTシャツ一枚なので寒いことこの上ない。そのTシャツが風にはためく。体感温度は下がる一方。

「ファイトーーーー!!」

私は気合を入れるために叫んだ。大田さんが当然、

「いっぱーーーつ!!」

と叫び返す。男二人、あの栄養ドリンクのシチュエーションに似てなくもない。

霧の中からゆらゆらと頂上の標柱が出現し、小さい祠が見え、岩手山頂にたどり着いた。思わず万歳をしてしまう。祠には小銭がたくさん奉納してあった。私も奉納しようかなと思ったが強風で財布の千円札が吹き飛んだらまずいなと考え、そのまま逃げるように頂上を去る。

 火口の下の下りはすさまじい砂礫の急下降である。大田さんに杖を貸し、私が先に急斜面を足任せにズザザザと下る。つらい登りではヒーヒーいいながらゆっくり登り、勝手知ったる復路の下りでは調子こいて飛ばす。この辺が私の性格が登山以外のことまで象徴されているのだ。ひざを折り曲げ、バランスを取りながら勢い良くズザザザと下る。両手はバランスを取るように使う。狂った踊りを踊るようにしてポンポンと快調に急斜面を下る。ほどなくハイマツ帯になり、平笠不動小屋に戻りついた。ここまで来ると風はなく、静かだ。

 大田さんが戻ってきて、小屋の中でパンの昼食。疲れているのであまり美味しいと思わない。食事を済ませ、焼走りまでの下りである。ツルハシまでは気の抜けない区間が多く、慎重に下るが、そこからの長い砂礫帯の下りは砂走りの要領でズザザザと下り、あっという間に焼走りの噴出口に戻る。下界が一望のもとに見渡せる。焼走りが樹海の上を下界の駐車場まで走っている。遠くに目をやれば霞のかなたに盛岡市街が見える。来し方を振り返れば頂上部が威容を見せている。

 ここからは樹林帯の蒸される、しんどい下りである。ほどなく自衛隊演習地の砲声が聞こえてくる。三十分も歩くと道はゆるい下りになり、午後二時すこしまえに焼走りの駐車場に戻りついた。大田智泰リーダー(彼が年長者なので登山届にそう書いた)の二名パーティーは無事下山したのであった。登山靴から普通の靴に履き替え、観光客スタイルに戻ってから盛岡に戻りレンタカーを返却した。

 新幹線に乗る前に冷麺を食べるため、焼肉屋に入る。ピリッと辛いスープとコシの強い面との組み合わせは絶妙。二日間で盛岡の食を堪能した。

16時56分発の「やまびこ20号」で慌ただしく帰京する。郡山のあたりで長かった一日の日が暮れた。

 

21 木曽駒ヶ岳へ 

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