2005年4月24・25日 行動時間:7時間23分 費用発生:84,400円
4/24: 510聖蹟桜ヶ丘=910羽田空港720***910鹿児島空港1025***1100屋久島空港=1200淀川登山口−1232淀川小屋1237−1337花之江河1342−1412投石岩屋−1517宮之浦岳1523−1617投石岩屋−1706花之江河1723−1823淀川小屋(泊)
4/25: 906淀川小屋−950淀川登山口−1006紀元杉1048=1147安房1159=1218屋久島空港1355***1425鹿児島空港1640***1820羽田1840=2000聖蹟桜ヶ丘
西日本で最後に残った百名山は宮之浦岳となってしまった。アルプスに食指が伸びる夏季と時期的にバッティングしないにもかかわらずここまで残った要因は、「屋久島は凄いところ」という先入観と、巨額の資金と、3連休を取らないと行きにくい(天候悪化による失敗を考えると予備日1日は欲しかった)ということが挙げられる。実はこの山、大学四年の秋に計画して4日間、10万円で登る日程を立てたのだが、資金不足のため断念した過去がある。あれから8年、金はともかく休みの問題がなかなか解決しない。しかたがないので三月下旬の某日、職場の上司に、勇を鼓して切り出した。
「屋久島へ行きたいから、今やっている仕事が一段落する4月下旬に三連休を取らせてください」というニュアンスのような事を私はソフトに云った。この申し出が通り、暮夜時刻表や地図と格闘してプランを練ったが、この山行は失敗が許されない。掌中の珠のような3連休を使い、けっこうな費用を使ってしまうのだから。いろいろ考えた末、@往復とも飛行機を使い、3日間のどの日でも登頂できるような柔軟性を持ったプラン A宮之浦岳の頂上だけを狙う。観光はしない。の2点を基本方針とした。私はまだ飛行機に乗ったことはないのだが、悲願達成のためにはやむをえないと考え、1週間前に会社近くのJTBで航空券を押さえ、無人小屋泊まりに備えてシュラフも新しく買った。
決行日の前日、10時過ぎに会社がはねて、いったん自宅へ帰る途中にスーパーに寄って、3日分の食料を考えて菓子パンを18個買った。天候状況に応じて出たとこ勝負の計画なので、食料は多めに持たねばならない。帰宅してザック二つにぎゅうぎゅうに荷物をパックし終わったのが午前一時。それから三時間だけまどろむ。四時半ころ自宅を出て早暁の野猿街道を自転車で走り、五時過ぎに聖跡桜ヶ丘駅に到着。大荷物を抱えて電車を乗り継ぐのは億劫なので、羽田空港直行のリムジンバスを使う。
バスは国立府中インターから中央道に入り、府中調布の市街を抜けて三鷹料金所を過ぎ、高井戸から首都高に入り永福の料金所を抜けて、新宿・外苑から千代田トンネルへ入り、レインボーブリッジ、そして東京港トンネルを経て羽田空港に到着。若干ぎこちない足取りでスカイマークエアラインズのカウンターへ行き、搭乗手続きを行う。出発ロビーから連絡バスへ乗り、機体へと誘導される。そして飛行機が滑走路をめざして動き始めた。羽田空港は敷地が広いのでこの間だけで胸がドキドキである。
いきなりジェットコースターのような猛加速が来たなと思ったら、飛行機は空を飛んでいた。みるみるうちに高度を上げ、眼下には三浦半島や城ヶ島が見える・・・と思ったらあれよという間に相模川の河口を過ぎ伊豆半島を横断し静岡を過ぎ御前崎が見え渥美半島が・・・新幹線とは違う次元の進み方に口あんぐりである。紀伊半島の先端にかかった所でしばしまどろみ、気がついたら足摺岬の上空。なんたる速さ。やがて飛行機は宮崎海岸にさしかかり九州上空へ進入し、高度をだんだん下げてゆく。気圧の影響か耳が痛い。眉間に手をやって堪えていたら、眉間までピリピリしてきた。やがて鹿児島北部の丘陵地帯にさしかかったなと思うと、着陸体勢に入る。
すぐ滑走路の路面に近づき、案外穏やかなランディングだなとおもっていたらズンという着陸の軽い衝撃がきた。う、うおうと思っているうちに滑走路を急減速し、9時15分ころ搭乗口へ機体が横付けされた。2時間足らずで鹿児島、なんたる速さかと思うが、禁じ手を使った気がしないでもない。次に乗る日本エアコミューターの屋久島行きまで時間がすこしあったので出発ロビー内の食堂でカレーライスの朝食。
2回目のフライトは80人乗りの比較的小さい機体だった。離陸して錦江湾や大隈半島を見て、佐多岬を過ぎるともう着陸体勢に入り、あっさりと屋久島空港にランディング。羽田から四時間足らずであこがれの屋久島にたどりついたが、いままでかたくなに守ってきたプロセスや考え方をかなぐり捨ててしまった気もする。が、自己反省にひたる間もなく、私は荷物を受け取るやタクシーに乗り運転手に「淀川登山口まで」と告げた。車は東海岸をしばらく進み、安房から林道に入ってガンガン高度を上げてゆく。空港までは晴れていたが、だんだん霞がかってきた。グネグネした林道をタクシーは軽快に走り、ヤクスギランド、紀元杉を通過し、正午頃登山口に到着した。懸念したタクシー代は七千円弱であった。
ザック2つを抱えて、しんどい歩きを開始。木の階段で守られた原生林の中のトレイルをたんたんと歩き、やがて道が下りに転じて、ほどなく淀川小屋に到着。メインザックを小屋にデポし、菓子パン六個と500mlペット2本と雨具のみを入れたサブザックをかついで登り続ける。これは楽である。淀川の流れを鉄橋でわたってから、厳しい登りが始まる。今朝からずっと強行軍なので、ここからはMDウォークマンのスイッチを入れ、KOTOKOさんを聴きながら登り続けた。0.5kmごとにキロ程入りの道標が現れるので励みになる。
木の根が張り出し、太古を感じさせるうっそうとした森の中の登りを続け、小花之江河に出た。ここから花之江河まではすぐで、ほどなく木道にかこまれた花之江河に到着。ここでコロッケパンとアンパンの行動食。ここから頂上まではあと3,8kmである。木道を淡々と進んですこし登ると黒味岳の分岐、そこからしばらく下って、急峻な斜面をロープを頼りに下って小さな沢を渡り、またロープの張られた登り。そのあと投石湿原を過ぎて、投石岩屋に到着。なんとしても日暮れ前に体勢を決してしまおうと思って急いているのかかなりのオーバーペースである。
ここからは主脈の西側を巻きながら登り道。樹林帯から低木帯になり、風もすこし出てきて高山らしくなって来た。残り1.4kmから道はまたくだり気味になって、小さい湿原を抜けて残り1kmを切るとつらい登りとなった。淡々と登り、栗生岳の巨岩を見てもなお登り、霧の間から登りの終わりらしきものが見えて、15時17分、ようやく長年の念願であった宮之浦岳頂上にたどりついた。きょうはガスのため展望はなかったが、私は満足して頂上の標柱を抱きしめた。登頂のポーズ、決めっ!
長居すると体が冷えるので写真を何枚か撮ったあと退散。頂上部の急な下りをしのいで、いくつかの軽いアップダウンを経て投石岩屋へもどった。湿原の先でコースサインを見落として獣道に入ってしまうミスを犯し、10分ほど時間をロスした。これでペースを乱したのか、ここで足の勢いがなくなり若干バテ気味でロープの登り下りを耐える。こんなに距離があったかなと思いながら足を進め、黒味岳の分岐を過ぎて、五時過ぎに花之江河にもどりついた。ここで黒味岳方面を望みながら、ウインナーロールとアンパンとチーズ蒸しパンをぱくついた。あとはきょうの宿泊地、淀川小屋まで一時間である。
屋久島の 森見て思う 水の力
(写真)屋久島、淀川小屋付近の森
昼なお暗い原生林の中、夕暮れになるとさらに暗くなり、ペースが落ちているせいもあって気をもんだが、どうにか小屋まではヘッドランプを使わずにすみそうである。樹齢千年は越えていると思われる、内地へ持っていったら神木扱いされそうな杉の大樹がぼんぼんと林立している。道そのものは青木ヶ原をもう少し峻険にした感じの、苔むす樹林帯のトレイルなのだがこの屋久杉の林立には感嘆した。ほどなく急峻な下りが終わり、6時半すこしまえに淀川小屋に戻ってきた。行動時間の割に疲れたので、さっさとシュラフにもぐりこむ。
枕がないので眠りが浅かったが、頭痛薬をのんだ効果か、それなりに眠れた。翌日は紀元杉10時48分発のバスに間に合えばいいので九時前までシュラフにくるまり本など読みながらまったりと過ごし、九時過ぎにおっとりと歩きはじめた。すこし登って山肌をトラバース。屋久鹿に出会うハプニングもあった。木の階段を降りて林道に戻る。ここからは音楽を聞きながら快調に下る。あっさりと15分ほどで紀元杉に到着。やっと終わった。
紀元杉は観光スポットでもあるらしく、バスガイドに引率されたツアー客で賑わっていた。紀元杉も圧巻で、この杉は高さはともかく幹回りが異様に太く、大物の風格が漂う。ここまで屋久杉を育てるのは雨だというが、こんなものまで自然は作り出すのかと思う。10時48分のバスで山を後にした。まどろみながら山を下り、安房で宮之浦行きのバスに乗換えて12時過ぎに空港に戻った。押さえた航空券は翌日のものだったが、日程変更も一万円弱の追加料金でOKで、13時55分発のJACで屋久島を後にした。鹿児島空港の待ち時間で焼酎、さつま揚げの天ぷら、キビナゴとカツオの刺身で祝宴を張り、羽田には夕刻もどりついた。