YAMAMIX Special  "All My Might"

2003.11.3(月)〜11.5(水) 九重山&祖母山&阿蘇山  費用発生:81,800円

63 九重山 1791m

1907八王子・・・新横浜2009・・・2331福山001・・・640別府715=915牧の戸峠927−1102久住分かれ−1132中岳1137−1220久住山1230−1252久住分かれ−1414牧の戸峠−1505長者原1530=1615由布院1650・・・1743大分1756・・・1907豊後竹田(泊) 行動時間5時間38分

(出発まで)

ある日職場の大先輩のM永さんと日本各地の食い物の話をしていたとき、「まあ私は日本中を旅してそれなりの土地のうまい物を食っている」といったニュアンスのことを云ったのだが、M永さんに突っ込まれた。

「北海道は行った事あるの?」「いえ、まだです、熊が怖いんで」

「九州は?」「・・・・いえ」 「四国は?」「・・・・・」

月に一度は夜行に乗ってどこぞの山へ出かけているが、まだ本州限定なのであることに気付き、この瞬間九州ツアーの実施を決断した。九州の百名山はコストがかさむと考え、今まで行かずにいたが、僻遠の地の百名山ばかり残ってしまうのも困り者だし、不況は今後3年以上は続くと思われるので今やってしまおうと考え、無理矢理3連休をとって、九州の百名山のうち比較的近接している九重・祖母・阿蘇の三山を踏破しようと決めた。私にしては珍しくめんみつにプランを立て、指定券と宿も事前に手配した。休みの半分を旅に使っている小生は旅なれているのであるが、九州初上陸となると心は15年前初めてブルトレに乗った時のようにゾクゾクする。

(寝台特急 彗星)

さて、日曜の夜、定時に会社を抜け出して、八王子駅のコインロッカーからいつもより重い荷物を取り出し、私は横浜線のホームへ向かった。仕事疲れか、車内で一眠りするともう小机であった。新横浜で新幹線に乗換え、20時9分初の「のぞみ67号」で西へ向かう。そとは闇なのでひまつぶしの東スポをじっくり読みながら過ごす。一時間半が経過し、ついこのあいだ来たばかりの名古屋に到着。そのあと岐阜羽島を通過し、どのあたりが関ヶ原かと気にしているうちにあっさりと米原を通過。腹も空いたので新横浜で買っておいたシウマイ弁当を開く。

京都、新大阪、新神戸と停車し、満席だった「のぞみ」の車内がすいてきた。山陽路に入ってものぞみは疾走し、岡山が近づく。ここは乗換えの分岐が多いので車掌の接続案内も長くなる。つぎの停車駅は福山である。福山着23時31分、ここで寝台特急の「彗星」に乗りかえる。別府発の九重登山口行きのバスを最優先に考えた場合、「彗星」での九州入りは絶好なのである。駅前のコンビニで行動食を買い足して山陽線のホームで待っているうちに日付が変わり、ほどなく新大阪始発の寝台特急の「彗星・あかつき」号が入って来た。前5両が「彗星」の南宮崎行きで、後ろが「あかつき」の長崎行きである。年季の入ったB寝台車に乗り込み、車掌の検札が済むと、カーテンを引いて眠る。

「みなさまおはようございます。只今の時刻は11月3日月曜日、午前6時30分です。あと10分で別府に到着いたします。別府でお降りのお客様は・・・」ブルトレならではの車掌の放送で起きる。眠っているうちに関門海峡を通り、九州へ入ったかと思う。6時40分別府着。改札口を出て別府駅前に立つ。ついに私は九州に来たのだという思いがこみ上げてきた。7時15分発の牧の戸峠行きのバスに乗りこむ。2時間の長い行程だが、ごく普通のローカルバスであった。側面に「がんばれ大分トリニータ」と大書きされているが。

(九重山)

バスは別府温泉の裏山を曲りくねりながら登って行く。夜行の寝不足のため私はうとうととまどろむ。いつのまにかバスはいったん山を下りて、由布院駅前で停車。ここからバスはやまなみハイウェイに入ってゆく。悪い事に雨が落ちてきた。別府で買ったおにぎりをパクついているうちにバスは九重山麓の長者原に停車。さらにやまなみハイウェイを登って行くと登山口の牧の戸峠に到着。9時半少し前、折りたたみ傘を差して歩きはじめる。まずはコンクリでつくられた急な上り坂を過ぎて、ふたつの展望台を過ぎると、沓掛山のピークを巻いて尾根歩きが始まる。

道の様相は泥濘で、あっという間に登山靴やスラックスの裾が泥んこになる。そういった道を数十分進むと、扇が鼻への分岐を分けて、しばらく進むとこんどは星生山への分岐を分ける。ほどなく西千里浜に出た。稜線上であるがサッカーでもやれそうな平地である。これ幸いとさっさと進み、平地の突き当りにある岩山の右側を巻くように越えて、少し下ったところが久住分かれの避難小屋であった。ここで雨が上がり、霧も晴れてきて、久住のいくつものピークが見えてきた。良しと思い、まずは最高峰の中岳をやることにして、久住分かれの分岐を左に進み、少し登って御池に出て、それを半周するように道は続き、天狗が城と中岳を結ぶ稜線に出た。

ここから中岳まではすぐで、若干岩ばった道を適当に登って頂上着。九重山や天狗が城、大船山方面の各ピークを望んでいるうちにまた霧が出てきたので、さっさと久住山へ向かう。来た道を戻り御池を半周し、久住山へののぼりにかかる。少しガレ気味の道が直線状に長く続いており、ペンキマークに従いつつ進んでいくと割合あっさりと久住山の頂上に着いた。登頂のポーズ、決めっ!

菓子パンの行動食の後、来た道を淡々と下り、久住分かれの小屋まで戻った。ここから見る久住山は傾いた三角錐のように均整が取れている。また霧が晴れてきたので遠く阿蘇山まで望める。北側は星生山のあたりから白い蒸気がもくもくと出ており硫黄の臭いがただよう。天狗が城と中岳も立派である。そのあと早々と戻りにかかる。明日以降があるので適当に下った。目の前の岩山を乗り越え、西千里を経てなだらかなくだり気味の稜線を鼻歌混じりに進む。扇が鼻分岐からは泥濘がひどく、難儀したがそんなに長くなく、沓掛山にもどりついた。コンクリの下りを経て、14時過ぎに牧の戸峠にもどりついた。

バスの時間まで間があったので、九州自然歩道を長者原まで一時間ほど歩いた。こちらは紅葉がきれいで、訪れる人もいないので静かな歩きを楽しめた。長者原発15時30分の博多行きバスのリクライニングシートに1時間ほどふんぞり返って由布院へ向かい、観光客でにぎわう由布院の街を瞥見してから駅構内の足湯につかり、16時50分発のディーゼルカーで大分へ向かう。小駅をいくつか通るうちに日が暮れて、大分着17時43分。

接続よく17時56分発の豊肥本線・豊後竹田行きに乗りかえ、ポッキーをかじりながら本を読みつつ豊後竹田をめざす。2両のディーゼルカーは最初は満員だったが、駅ごとに乗客が降りていって、三重町を過ぎると車内はガラガラになった。20時7分、豊後竹田着。駅前のビジネスホテルに投宿。今回の旅ではこの小さな街、豊後竹田に二泊する日程である。部屋に荷物を置き、ホテル近くの食堂でとんかつ定食(900円)の夕食。白身魚の切り身が入った吸い物がおいしかった。

64 祖母山 1756m

653竹田本町=723神原−755車に拾われる=800一合目登山口−822五合目小屋−946国観峠−1023祖母山1040−1058国観峠−1140五合目小屋−1155登山口−1223神原1310=1345竹田本町(行動時間:4時間55分)

(祖母山)

きょうは3つのなかでは最難関と思われる祖母山。天気は快晴である。神原行きのバスは終点まで私一人の貸しきりであった。神原は山間の平凡な小集落というイメージ。ここから広い林道を30分ほど歩き、一合目の滝分岐のあたりで登山者の車に拾われた。これで歩行時間を30分ほど短縮できた。一合目の滝の上にある登山口駐車場で礼を述べ車を降りる。五合目までは紅葉の清流ぞいの気持ちの良い道であった。ほどなく五合目の小屋に到着。ここから国観峠までの標高差600mが祖母山の難関である。木の階段を登って、岩のゴロゴロした涸れ沢を渡ってそこからは岩や木の根につかまりながらの急な登りを重ねる。

自分の歩幅で進ませてくれないが、高度計の数字はどんどん上がる。アスレチックのように自分の体をぐいぐい上へと持って行く。知力体力敏捷性が必要なルートである。標高1085mまで上がったところで巨岩の横を通る。そこからも急な登りを重ねて、さらに地面の水はけが悪く、滑りやすい箇所もあって足の置き所に難儀した。ほどなく両側が背丈ほどある笹薮の道となり、木漏れ日ならぬ笹漏れ日がまぶしく感じるようになった。ほどなくT字路の分岐を右に取り、十数メートル進むとそこが国観峠であった。ここも小広い平地であった。

そこからの登りはいくぶんましであった。八合目の表示を過ぎ、ややぬかるんだ登山道を過ぎ、九合目小屋への分岐を分け、トラロープの張られた斜面を慎重に登り、十時半すこしまえに祖母山頂上にたどりついた。下界はガスがかかっており、雲の上に傾山と大崩山が突き出ている。眼下の谷はかなり峻険な感じ。登頂のポーズ決めっ!心地よい日差しをあびながら菓子パンの行動食をすませ、10時40分ころ頂上を後にした。神原発の次のバスは13時10分に間に合うべく頑張って下ることにする。

半分足任せ、半分テクを使って、登山道をステップ軽く下りて18分で国観峠。ツアー客の団体とすれちがう。ここからの急な下りは集中力を切らさないように、右手は杖で、左手はトラロープや岩や木の根をつかみバランスを保ち腰をやや落として、足を前に出す。この足さばき手さばき杖さばきも慣れたものである。しかし1回だけ滑って尻もちをついてしまった。自信は必要だが過信もいけない。巨岩を通り過ぎて意外にあっさり沢の音が聞こえ出し、急下降でがくがくに震える足をなだめながら涸れ沢を渡り、木の階段を下り頂上から1時間で五合目小屋。コースタイムは2時間10分だから自分でも驚く。

そこからはなだらかな紅葉の沢沿いを写真をとりながら適当に下って駐車場に戻り、遊歩道を下って1合目の滝。なおも下って車道に出て、しいたけ栽培のホダ木の積まれた横を下り、広い林道に出た。MDウォークマンを耳に当て、KOTOKOさんを聞きながら、意気揚々と神原へ歩いた。12時20分過ぎに神原に戻った。最難関だと思っていたが意外とあっさり片付いた。

(豊後竹田)

13時10分のバスで神原を後にし、竹田に戻った。きょうも竹田泊りなので私は残りの時間を観光にあてることにした。竹田には私がカラオケでよく歌う、瀧廉太郎の名曲「荒城の月」のモデルとされている岡城址がある。竹田本町でバスを降りて1キロほど歩きトンネルを二つ抜けて坂を上がると岡城址。城の建物は明治維新のさいに撤去されており、立派な石垣だけが残っている。カボスジュースを飲みながら岡城址を散策した。石垣の下はかなり深い谷である。私は城址の一隅で口ずさんだ。

春高楼の花の宴 めぐる盃影さして 千代の松が枝分け出でし 昔のひかり 今いずこ

(超訳)春にはこの城で、桜が舞う中、大宴会が催されていたのだろうか。

    松の枝からさしこむ月の光を望みながら、大勢で酒を飲んでいたのであろうか。

    しかし今はその面影もなく、ただ月の光だけが往時と同じように降り注いでいる。

    変わらない自然に比べて、人の世の移ろいのなんと激しいことだろう。

    人の繁栄、栄華のなんと儚いことだろう。

岡城は基本的に石垣と瀧廉太郎の銅像しかない所なので、早々と岡城を後にし、竹田市街へ戻り、チャンポンの遅い昼食をすませ、瀧廉太郎記念館で遺品や楽譜などを見る。そのあとスーパーで翌日の行動食を買いこんだ後、ホテルに戻りゴロゴロする。夕食は昨日と同じ食堂で天ぷら定食(1350円)。

65 阿蘇山 1592m

648豊後竹田・・・742宮地=758仙酔峡−920高岳−1020仙酔峡1025−1125宮地1202・・・肥後大津1243・・・1322熊本1340・・・1503博多1522・・・2010新横浜・・・2110八王子(行動時間:3時間27分)

翌朝6時、私はホテルの一室で天気予報を見ながら渋面をうかべていた。午前中から雨とのこと。午後にはまとまった雨が降るらしい。意気上がらぬまま私は駅に向かった。6時48分発の宮地行きディーゼルカーはガラガラであった。玉来から山の中に入って、緑の森の中を列車は進む。木の枝が列車の窓をかすめ、しずくを残す。いくつかトンネルを抜け豊後荻。そこからも山深い所を走り熊本県に入り滝水に停車。波野から高校生が乗ってきて、ディーゼルカーは阿蘇の外輪山の下をトンネルで抜け、そのあと裾野を猛スピードで下り、宮地に到着。ここからタクシーで登山口の仙酔峡へ向かう。タクシー代は2030円であった。

雨はまだ降り出していない。10時までに大勢を決するため、さっさと花酔橋を渡って仙酔尾根に取り付く。この尾根は別名「馬鹿尾根」と呼ばれており、丹沢の大倉尾根のような単調な尾根歩きを想像していたが実際は岩山のゴツゴツした急な登りの連続であった。ガスの中、白ペンキのコースサインを頼りに最も安全なルートを探し出す。所々によじ登らねばならぬ所もあり難儀した。予想外の連続急登と、気負いからか息が乱れる。

ガラガラの斜面をトレースし、高度計の数値がいいペースで上がり、1200m過ぎで眼前の岩山の右側を回りこんで高度を上げ、そこからはジグザグ気味にペンキマークを頼って高度を上げると、たまご石の横を通って、ザレ気味の斜面を上がって、稜線に出た。とたんに猛烈な風がビョウビョウと吹いてきた。ガスで視界は5m程度。とにかく足元を見てトレースを外さない事を心がけて稜線を進み、高岳の頂上にたどり着いた。稜線を中岳方面にこれ以上進むのは危険と判断して、もときた道を慎重に戻り、仙酔尾根に戻ると風は収まった。

疲れてはいるが雨が降る前にけりをつけるべく、エイエイと一心不乱にガラガラの斜面を下った。時折トレースを見失うこともあったが、探し出してのコース復帰ができ、すべりそうにない岩の上を見定めてタ、タ、タとくだる。なおも高度をさげ、岩尾根を右に巻いていくと、眼下に仙酔峡のレストハウスが見えた。あとはそこまで草付きの中の小道や遊歩道を下っていけば良かった。10時20分頃仙酔峡に戻った。宮地まではMDウォークマンを耳に当ててノリノリで下った。ここで雨が本降りになってきたので傘をさして、阿蘇のふもとの心地よい道を1時間ほどあるき、宮地駅には11時半ころ到着した。さすがにくたびれたのでベンチにへたり込む。

これで三日間の目標は達成したが、帰りは実に長かった。宮地発12時2分の列車はカルデラ内を走り、立野のスイッチバックを経て肥後大津で電車に乗換え、熊本で特急「有明」に乗換えて田原坂を越え筑後川を渡り、博多着15時3分。ここで東京行きの「のぞみ」に乗り継いで新横浜を目指す。新幹線はあっという間に関門海峡を抜け広島へ進む。岡山のあたりで日が暮れた。

66 霧島山へ進む

登山記録に戻る

ホームに戻る